前回の「背景」では世界観作りをしました。今回の「主要な登場人物」は、極端に言えば舞台上にドン・キホーテを登場させないために行う仕事です。背景があって、そこで育った登場人物がいて、彼らの行動が物語を生み出します。この流れの中で誰か一人が浮いてしまうことがないように、かつキャラクターの間に調和が生まれるように、慎重な考察を重ねていきました。

 「主要な登場人物」としてまとめた3人は登場する場面が多く、それに伴って歌詞も豊富です。たまに異なる場面で整合性を持たせることが困難なこともありますが、それだけ複雑な内面が仕上がりやすく、またその複雑さを描写する機会が多い役でもあります。あまり考え過ぎると輪郭がぼんやりとしてしまうかもしれません。しかし、アリアのイメージを軸として大切にしながら、複数の軸が絡み合う重唱に潜むニュアンスを探っていく作業は、ドラマツルグ職の醍醐味です。

 

主要な登場人物

①リゴレット

彼は社会から疎外された存在である。彼は回転の速い頭脳を持ち、その機転で注目を集めることができるが、その能力を道化としてしか発揮することができない。強い自負の一方で誰からも理解されず、職務以外では路傍の石のように扱われている。このような生い立ちもあり、鈍重な宮廷人たちを軽蔑しかつ憎悪していて、道化としての毒舌や人を貶めて笑いを誘うことに快楽を感じている。

しかし、彼は気付かないふりをしているが、所詮このような立場は宮廷への寄生にすぎない。宮廷人への風刺は彼のできる唯一の反抗であるが、それも公爵の絶対的な権力の陰に隠れ、宮廷人が彼に無関心だから可能なことである。彼は、彼自身を蔑む社会の仕組みに頼って暮らしている。

宮廷における道化としての一種の自由な立場は、公爵に取り入って利用することで得たものである。彼は公爵を、何の主体性も無い人物として腹の中では嘲笑うが、宮廷の中で公爵だけは笑いの対象とすることがない。公爵の方は単にリゴレットを気に入っているだけで、彼はそんな公爵を取るに足らないと思いながら、彼の持つ自由への、強烈な嫉妬や羨望を押し隠している。

彼を過去に唯一理解し、愛してくれたのがジルダの母である。彼女が死んだあと、彼はジルダを育てることで孤独から逃れてきた。ジルダは彼にとってその母の写し身であり、彼の理想とする全てを備えた娘に育った。すなわち、他者への敏感な理解、憐み、優しさであり、疑うことを知らない心である。ジルダを育てている家は彼にとって箱庭のようなものであり、彼が憎む世界から唯一逃れられる場所だった。

公爵の手がジルダにまで及んだことは、彼の箱庭の終焉を意味した。彼はついに決意する。それは、表面上は娘の名誉のための戦いだったかもしれない。しかし、本当に望んでいたのは世界の全てをひっくり返すこと、すなわち道化である自分が最高権力者の命を奪うことである。ジルダが止めても、彼は聞く耳を持たない。むしろ、彼女が蔑むべき公爵をかばうことを、彼は許せない。彼は運命に従って道化として生き続けるのではなく、娘のために立ち上がった復讐者として、自由な英雄となることを渇望する。

復讐を遂げたと信じ込んだ彼は、ついに自分の大きさを感じて酔う。しかし、殺されたのは彼の娘であった。公爵を許すように懇願し、母と共に彼のために祈ると告げながらジルダは死んでいく。一人取り残されたリゴレットは、己の抱えてしまった歪みのために娘が犠牲となって死んでいったことを悟り、慟哭する。

 

②マントヴァ公爵

彼が単純な悪役になってしまえば、劇は成り立たない。彼がなぜ刺客の手にかかるべき人物ではないのかについて、説明を与えなければならない。また、彼とリゴレットの関係性、彼とジルダの関係性についても整理することで、このオペラはリゴレットという性格俳優の独り舞台以上のものになるだろう。

この世界の何からも自由である彼だが、彼には何の責も無く、彼は彼なりにこの世界の悲哀に囚われていることを強調しておく必要がある。彼は望むもの全てを手に入れられる人生を送ってきた。しかし、彼自身は何を欲しているのか明らかではない。奔放な女性遍歴にしても、その対象は常に移り変わり、彼は永遠に快楽を追い続けている。彼は第1幕で自らの移り気を歌うが、同時に第3幕では女性の気まぐれを歌う。この二つは裏表の関係にあり、彼は彼自身の属する世界の中に真に心をとらえるものを見出しておらず、また彼の周囲にもそれを教えてくれるものはいないのである。

リゴレットから見れば、彼は自分を疎外する宮廷の象徴である。しかし、彼から見ればリゴレットも宮廷人も大して違いはなく、全ての奉仕を当然と思っている。これは一つの美点とも言え、全ては彼の前に平等なのである。自分以外のすべてに対する精神的な優越、という点で、リゴレットと彼は一部共通した自己認識を持つ。しかし、リゴレットのそれが自負と劣等感の強烈な葛藤の上に成り立っているのに対して、彼はその優越を生まれながらに与えられ、無自覚に享受してきたのである。両者は共にこの自己認識を持て余しているが、彼への憎悪に目が曇ったリゴレットは、それに気づかない。

ジルダは彼のことを公爵と知らない。第2幕の冒頭の独白は真実を含み、ジルダの純粋な思慕は彼の心に初めて触れるものであった。ジルダは彼が戸惑いを抱えてきたことや、彼の方向性を欠いた振る舞いがある種の幼さによることを感じている。しかし、彼はその同情に気づくことができるほどには成熟しておらず、他人を知るすべを持たなかった。終幕まで彼は惑い続け、ジルダの死によって導き手を失うのである。

 

③ジルダ

彼女は純粋に人を愛することができるように、人に共感することができるように、リゴレットの唯一の希望として、愛情だけを受けながら育ってきた。結果として、彼女はリゴレットの傷ついた心だけではなく、公爵の生まれ持った悲哀にまで気づくことができるのである。リゴレットとは異なり、何の憎しみも受けずに育ったことが、彼女をリゴレットを超えた全く異なる存在にした。この違いが最終幕の悲劇に向けて、大きな意味を持つのである。

リゴレットと彼女の間の愛情は確かなものであるが、彼女の父は彼女を世界から完全に切り離して育てた。リゴレットは、自分の心の底にある怒りや悲しみすら明かそうとせず、名前すら名乗ろうとしない。それは、自身の歪みが世界の醜さを想起させるから、というだけではなく、自身の精神的な醜さを拒絶されることを恐れたリゴレットが、彼女に心を開けなかったからでもあろう。彼女は父の愛情に応えることで父を癒すことはできたが、リゴレットの抱える最大の病である他人への憎悪、それを生み出す世界への憎悪については、どうすることもできなかった。

公爵との出会いは、もちろん若い彼女にとっての初恋であることは間違いない。この恋が、それまでリゴレットからの愛情しか知らなかった彼女にとって、箱庭からの解放を意味していたことも確かである。そこに難しい言葉は必要ない。ただし、それは公爵の容姿に惹かれて内面を読み誤ったから、と考えるべきではないだろう。第2幕で公爵の正体を知っても、第3幕でその裏切りを知ってもなお、彼女は公爵を愛し続ける。それは、公爵の放蕩は彼個人の悪意によるものではなく、この世界そのものが生み出した罪だからである。それは、リゴレットの全てを受け入れて愛した彼女の母のように、彼女にしかできないことであった。

リゴレットは世界への反逆に酔って、そんな自分を偽りながら憎悪する公爵を殺害しようとしていた。公爵は何も知らないまま、自らを形成した世界の代わりとして殺されようとしていた。そこで、彼女は望まない復讐を止め、愛する公爵を救うために、自らが犠牲となった。しかし、最期に彼女が父にまで公爵のことを許すように懇願するのは、父の過ちを正し、彼の心を覆う人々への憎悪を捨ててほしいからである。この世界は、リゴレットにも公爵にも等しく呪いをかけ続け、彼女の父は逃げ場を失って呪いに立ち向かわなければならない。だから彼女は祈り続けるのである(シーンとアイデアへつづく)。

 

文責:伊藤薫
撮影:奥山茂亮