実際に舞台で何を起こせるか、というのは解釈の仕事から見れば終着点ですが、かえって出発点となることもあります。この解釈を見せるためにこの絵を作ろう、というのが自然な流れですが、過去の上演を見て、「このシーンをこういう風にするのは前例がないかも」と思いついたところから、ではどうしたらそういう絵になるだろう?と解釈に遡ることもあります。最終的に矛盾なく残ったのがこの演出案です。

・→基本的なプラン(土台として)
○→具体的な提案(絵として)

 

第一幕

第2曲

・リゴレットの挙動

リゴレットはからかっている時は相手と対等のように振る舞い、それが終わった瞬間目に見えてへりくだる。前者が本心に近く、後者が建前。メリハリをつける。

・廷臣たちの離合集散

さっきまで笑っていた相手と、次のシーンでは仲間になる。節操がなく、落ち着かない様子で。手が震えていたり、頭の動きが忙しなかったり。

○モンテローネと廷臣たち

リゴレットがわざとモンテローネの憎しみを掻き立てたあと、モンテローネは廷臣たちの間を廻りながら呪いの歌を歌うが、彼らは通常演出のように恐れることはなく、どちらかと言えばきょとんとしている。リゴレット以外に、モンテローネの苦しみは伝わらないからである。

○リゴレットへの呪い

撮影:伊藤大地 ※一部加工して使用しております。

モンテローネがリゴレットを呪い、リゴレットがそれに応えて曲調が変わる。この瞬間、一気に照明が変化して、舞台は現実世界からリゴレットの心象風景へと変化する。中央にはモンテローネと彼に詰め寄られるリゴレットがいて、それを取り囲む廷臣たちの顔は良く見えない。顔のない彼らの歌はモンテローネに向けられたものであるが、不意にリゴレットはその歌を、自分に向けられる敵意の集積のように感じる。彼は四方を囲まれ、逃げることができない。

 

第3曲

・リゴレットとスパラフチーレ

撮影:奥山茂亮

曲に釣り合った奇妙なユーモアが必要。スパラフチーレは稼業に不釣り合いに饒舌な男で、どちらかと言えば人目をはばかっているのはリゴレットの方である。そんなスパラフチーレの人懐こさに、リゴレットは途中から(e quanto…から)興味を持って話し始める。

 

第4曲

・ジルダとリゴレット

リゴレットがジルダを保護しているのではなく、ジルダがリゴレットの母親であるかのように。リゴレットの弱さを2種類に分け、コントラストをつけて表現する。すなわち、ジルダにしか見せない彼の心の傷と、ジルダを失うことへの暴力的な恐怖である。場を動かしているのがジルダに見えればよい。

 

第5曲

・ジルダの若さ

リゴレットの前よりも娘らしさを出す。ジョヴァンナへの甘えと考えてもいいかもしれない。

○ジョヴァンナ

彼女の挙動は、暗い場面ということもあって一般的に見えづらい。今回、リゴレット父子の期待とは裏腹に、彼女を金次第で公爵どころか廷臣たちも通す人物としてしまえば、むしろ物語の背景にある絶望感が強くなると思われる。例えば、ジルダとリゴレットの二重唱の後ろでは、まったく共感を示さず無表情に佇んでいる。ジルダとの直接の会話では優しげだが、その後ボルサに金をもらうと、特別な思い入れもなく消えてしまう。こうした無秩序・無関心を宮廷外で示せるキャラクターは少ないため、しっかりと見せることで世界観を表現できる。

・公爵

撮影:奥山茂亮

全ての女性を適当にあしらうドンファンではなく、全ての女性に本気で愛をささやく病的な人物として描きたい。ここでは裏表なく、一人の愛を求める若者、学生Gualtier Maldeを公爵の一面として振る舞えばよいのではないだろうか。

 

第6曲

 

第7曲

○リゴレットを騙す廷臣たち

かなり無理のある騙し方であるが、リゴレットと彼らの身分差を表すことで、その強引さを説明したい。あえてリゴレットを舞台の中央に置き、目を合わせられずに縮こまっている彼の周りに、芝居がかった言動をするボルサ達を配置する。鍵の受け渡し、覆面、梯子を持たせることなど、全て乱暴におこない、一つ一つ騙すのではなく、状況を飲み込めないうちにジルダがさらわれるように表現する。Zitti, zittiでは時間の経過を考えずに歌ってもいいかもしれない。

文責:伊藤薫