第二幕

第8曲

○公爵の変化

いずれの歌も本気なのだが、ジルダの境遇を考えれば、廷臣たちの行動への咎めがないのはおかしい。それこそが公爵の本質ではないか。廷臣の前だからと言って、感情を抑えることはない。自分の欲が満たされたか否か、それだけが重要である。

撮影:伊藤大地

○ジルダの登場

この場面で、公爵の背後からジルダを連れてこさせることもできる。ジルダは公爵の背後で、彼のジルダへの想いの歌を聞く。ジルダは廷臣らの仕打ちを訴えようとするのだが、公爵は聞く耳を持たず、彼らの前でジルダに抱きついて退場していく。ここでジルダが公爵の未成熟な心を知る、と考えることができる。

 

第9曲

○リゴレットを見る廷臣たち

撮影:奥山茂亮

ことさらに邪悪に見せる必要はない。憔悴したリゴレットの様子を、純粋に面白がっている。ジルダが彼の娘だとわかってからも、その意外な真実に興奮して囁き合うものの、ショックを受けたりはしない。アリアに入ってから、廷臣たちが再び歌いだすまでが長い。一人ずつ演技をつけていくより、照明ごと変えて、廷臣たちを記号として扱う方が簡単だろう。リゴレットを阻む2回以外は、持ち場で無機的に佇んでいていいかもしれない。絵も想像しやすい。

 

第10曲

○ジルダの告白

ジルダの回想では、リゴレットの表情は見えないようにする。モンテローネ登場前の二重唱は、二人の心が通う最後のシーンと考える。モンテローネ登場前のこのシーンに美のピークを持ってくる。ただしこのシーンですでに、リゴレットの中には、一人娘を思う父親の慈愛と共に、世界を恨む個人の復讐心が同居していることに注意すべきである。前者の美しさの中に、後者の不穏な影が潜んでいる。リゴレットの腕の中で悲しむジルダに対して、その父は娘の向こうを見つめている。

○リゴレットの復讐

モンテローネの登場によって、呪いや復讐心が舞台の前面に現れてくる。廷臣の退場時点では現実的だった世界が、親子の幻想的な美しさへ移行し、しかしその中から抑圧されていた危険な感情が広がって舞台を覆う、この様子を視覚的にも表現しなければならない。人物だけではなく、照明も用いて、一つ一つ絵を完成させる。リゴレットは最早娘のためではなく、自身のために行動している。彼女の制止を振り払いながら、熱に浮かされたように舞台の前方に出る。幕の最後にはジルダを置いて興奮した様子で退場し、くずおれた彼女だけが舞台に残る。

撮影:伊藤大地
文責:伊藤薫