Studio 1

ペラと

ュージカルの

狭間で

キュレーター

眞壁 謙太郎 / 小野寺 彩音

今回の楽曲は、どれも日本の歌劇場ではなかなかお目にかかれないミュージカル作品(オペラとして手掛けられた作品もあるが)からの抜粋である。イングリッシュ・ナショナル・オペラやウィーン・フォルクスオーパーでの上演歴はあるものの、東京・初台の新国立劇場でのオペラ公演としては5作とも未だ上演されていない。つまり、欧米のボーダーレスな現状に比べて、日本では、オペラはオペラカンパニー(音楽界)の興行として歌劇場や音楽ホールで上演され、ミュージカルは劇団や配給企業(演劇界)の興行として劇場で上演される、という風にはっきりと区分けされているのである。しかし、オペラもミュージカルも、音楽劇という同一のスタイルによるものであり、これらを区分するのは作品に内在する特徴(台本、トピック、音楽、美術など)ではなく、先述した興行上の相違点以外に何があるのだろうか。こうした疑問点を踏まえて、これまで HAMA project(はまぷろ)の公演に出演してきた歌手に、ジェローム・カーン、ガーシュウィン、フレデリック・ロウ、バーンスタインの名曲たちを歌ってもらう。これまではまぷろで《フィガロの結婚》や《魔笛》のような定番の演目を上演してきた歌手や伴奏者、我々スタッフの個人のレベルにおいて、現段階からこうした作品に取り組むことは大きな価値を有する。多くのメンバーと共に「密な環境」で上演することができない今だからこそできる取り組みともいえよう。


今回の曲目は、歌手陣の豊富なレパートリーと照らし合わせながら組んだ。その結果、偶然ではあるが、取り上げる作品に興味深い共通点が見えてきた。黒人差別がテーマとして浮き出る《ショウ・ボート》、黒人コミュニティでの日常生活と悲恋を描いた《ポーギーとベス》、音声学者が労働者階級の花売り娘に上流階級の発音を叩き込む《マイ・フェア・レディ》、『ロミオとジュリエット』をポーランド系移民とプエルトリコ系移民の対立に置き換えた《ウエスト・サイド・ストーリー》。階級や差別という社会の「負」の側面(ボーダー)に晒されてきた人々の物語ばかりである。《キャンディード》も直接的には描写されていないが、制作当時のアメリカの状況に鑑みれば、他の4作と同様の観点から述べることができるだろう。20 世紀音楽史に刻まれた傑作群に通底する普遍的(ボーダーレスな)要素を抽出することで、未だ困難に満ちた世界に生きる自分たちに重ね合わせることが可能になるのではないだろうか?

ガーシュウィンと「フォーク・オペラ」

ガーシュウィンと

「フォーク・オペラ」

ジャズ作曲家ガーシュウィン?

最晩年のガーシュウィン(1937)

オペラとミュージカルの「狭間」を問うという今回のキーワードから連想されるのは、クラシックとジャズの「狭間」に生きた作曲家としてのジョージ・ガーシュウィン George Gershwin(1898–1937)のイメージだろう。確かに、彼が次第に名声を得て《ラプソディー・イン・ブルー》(1924)のようなボーダーレスな作品を発表した時代は、1920 年代の「ジャズ・エイジ」と合致する。しかし、ここでアメリカ音楽文化における彼の立ち位置をデューク・エリントンやベニー・グッドマンと同様のものと認識すべきだろうか。ここで注目すべき点は、2点。そもそも、20 世紀初頭にようやく形となったジャズというジャンルの中にも潮流というものがある。1910 年代のディキシーランド・ジャズ、《ラプソディー・イン・ブルー》を委嘱したポール・ホワイトマンらによるシンフォニック・ジャズ(1920 年代)、1930 年代はスウィング、1940 年代ならビバップ……という風に、およそ 10 年ごとに新たなスタイルが一世を風靡してきた。出来立てほやほやで発展途上にあったジャンルを称揚して、1920 年代を「ジャズの時代」と呼ぶのは、音楽史の変遷から考えると無理がある。また、ガーシュウィン自身も《ラプソディー・イン・ブルー》でジャズとクラシックのクロスオーバーを実現したが、そもそも彼はポピュラーソング、ラグタイムの作曲家としてキャリアをスタートさせた。今や彼の楽曲は多くのジャズ・アーティストによって演奏されているが、もちろんこれも作曲者自身が意図したことではない。

最晩年のガーシュウィン(1937)

オペラとミュージカルの「狭間」を問うという今回のキーワードから連想されるのは、クラシックとジャズの「狭間」に生きた作曲家としてのジョージ・ガーシュウィン George Gershwin(1898–1937)のイメージだろう。確かに、彼が次第に名声を得て《ラプソディー・イン・ブルー》(1924)のようなボーダーレスな作品を発表した時代は、1920 年代の「ジャズ・エイジ」と合致する。しかし、ここでアメリカ音楽文化における彼の立ち位置をデューク・エリントンやベニー・グッドマンと同様のものと認識すべきだろうか。ここで注目すべき点は、2点。そもそも、20 世紀初頭にようやく形となったジャズというジャンルの中にも潮流というものがある。1910 年代のディキシーランド・ジャズ、《ラプソディー・イン・ブルー》を委嘱したポール・ホワイトマンらによるシンフォニック・ジャズ(1920 年代)、1930 年代はスウィング、1940 年代ならビバップ……という風に、およそ 10 年ごとに新たなスタイルが一世を風靡してきた。出来立てほやほやで発展途上にあったジャンルを称揚して、1920 年代を「ジャズの時代」と呼ぶのは、音楽史の変遷から考えると無理がある。また、ガーシュウィン自身も《ラプソディー・イン・ブルー》でジャズとクラシックのクロスオーバーを実現したが、そもそも彼はポピュラーソング、ラグタイムの作曲家としてキャリアをスタートさせた。今や彼の楽曲は多くのジャズ・アーティストによって演奏されているが、もちろんこれも作曲者自身が意図したことではない。


《ポーギーとベス》

土着の音楽によるオペラ

ガーシュウィンは《ファニー・フェイス》(1927)や《ガール・クレイジー》(1930)のようなミュージカル・コメディも作曲してきた。作詞を担当した兄アイラとの共作によるこれらの作品は複数の楽曲を含むので、案件として大規模であり、ギャラも高い。このような案件をこなすことでガーシュウィンは舞台作品に関わってきた一方で、オペラにも手を付けていた。1922 年には小規模なヴォードヴィル・オペラ《ブルー・マンデー》を作曲し、これがガーシュウィンによる初めて本格的な「ブラック・ミュージック」に挑んだ作品となった。しかし、この時点では白人の歌手が黒塗りの顔で黒人役を演じるミンストレル・ショーの方式を導入し、シンフォニック・ジャズ的なオーケストラもマンハッタンのハーレムの「ブラック・ミュージック」とは違う響きだった。

《ポーギーとベス》
ボストンでのトライアウトの風景
(1935)

《ブルー・マンデー》から十数年の時を経てアメリカ音楽界での不動の地位を確立した後も、貪欲にあらゆる音楽を学んで吸収したガーシュウィンが着手したのが、より本場の「ブラック・ミュージック」に接近した《ポーギーとベス》である。デュボース・ヘイワードが書いたサウスカロライナ州チャールストンの黒人コミュニティでの悲恋を描いた小説『ポーギー』を高く評価していたガーシュウィンは、1932 年頃から構想を練り始めたが、多忙のためなかなか進展しなかった。しかし、1934 年にチャールストンの沖にあるフォーリー島にコテージを借りると、夏の間そこで地元民の叫び歌(シャウティング)、讃美歌、蟹や蜂蜜を売る男たちのかけ声からインスピレーションを得ながら、この「フォーク・オペラ」の作曲に没頭することができた。翌年8月にオーケストレーションを終え、そのままリハーサルに入ると、ボストンでのトライアウト(試験興行)を経て、 10 月 10 日にブロードウェイ初演を迎えた。はっきりと明言するが、この作品はオペラとして書かれているし、メトロポリタン歌劇場(以下メト)役員会の議長でガーシュウィンのパトロンだった、オットー・カーンによる「ジャズ・グランド・オペラ」作曲の要請に応えたものでもあった。つまり《ポーギーとベス》はメトでの上演を想定したと言っても過言ではないが、ガーシュウィンの「ほとんどの歌手を黒人で占める」という要望を、 1935 年当時の世相やそれに基づくメトの事情で実現するは不可能だった。

《ポーギーとベス》トライアウトの風景(1935)

《ブルー・マンデー》から十数年の時を経てアメリカ音楽界での不動の地位を確立した後も、貪欲にあらゆる音楽を学んで吸収したガーシュウィンが着手したのが、より本場の「ブラック・ミュージック」に接近した《ポーギーとベス》である。デュボース・ヘイワードが書いたサウスカロライナ州チャールストンの黒人コミュニティでの悲恋を描いた小説『ポーギー』を高く評価していたガーシュウィンは、1932 年頃から構想を練り始めたが、多忙のためなかなか進展しなかった。しかし、1934 年にチャールストンの沖にあるフォーリー島にコテージを借りると、夏の間そこで地元民の叫び歌(シャウティング)、讃美歌、蟹や蜂蜜を売る男たちのかけ声からインスピレーションを得ながら、この「フォーク・オペラ」の作曲に没頭することができた。翌年8月にオーケストレーションを終え、そのままリハーサルに入ると、ボストンでのトライアウト(試験興行)を経て、 10 月 10 日にブロードウェイ初演を迎えた。はっきりと明言するが、この作品はオペラとして書かれているし、メトロポリタン歌劇場(以下メト)役員会の議長でガーシュウィンのパトロンだった、オットー・カーンによる「ジャズ・グランド・オペラ」作曲の要請に応えたものでもあった。つまり《ポーギーとベス》はメトでの上演を想定したと言っても過言ではないが、ガーシュウィンの「ほとんどの歌手を黒人で占める」という要望を、 1935 年当時の世相やそれに基づくメトの事情で実現するは不可能だった。

ブロードウェイでミュージカルの体裁で行われた初演の評価は、好意的なものもある一方で、「この作品は本当の黒人オペラではない」というような痛烈な批判も散見された。しかし、ガーシュウィンの初めての本格的なオペラとしては上出来で、この後も大規模なオペラ(ないしミュージカル)を創作していくかと思われた矢先、1937 年7月に脳腫瘍で急逝。彼の野望はあまりにも早く潰えてしまったが、《ポーギーとベス》がこの後のあらゆる音楽劇、音楽表現の礎となったことは断言できる。

《Porgy and Bess》- Bess, You Is My Woman Now

ポーギー:奥秋大樹/ベス:依光ひなの/ピアノ:小野寺彩音

  • あらすじ
  • 楽曲解説
  • 歌手より
  • 歌詞対訳
あらすじ

《Porgy and Bess ポーギーとベス》

1920年頃のチャールストンの黒人集落、キャットフィッシュ・ロウ(なまず横丁)。足の不自由な乞食ポーギーはベスに思いを寄せている。ベスの内縁の夫クラウンが賭博の揉め事で仲間を殺したことで逃亡すると、ポーギーはベスを匿(かくま)い、やがて2人は恋仲になる。しかし、一途に自分を思うポーギーに応えるベスは同時に、未練がましいクラウンや「ハッピー・ダスト」の売人スポーティン・ライフの誘惑に抗い切れない。そんな中、クラウンがポーギーの家に忍び込む。それを見つけたポーギーは揉み合いの果てにクラウンを殺してしまう……

楽曲解説

〈Bess, You Is My Woman Now ベス、お前は俺の女だ〉

ポーギーがベスを匿い始めてから1ヵ月ほど経ったある日、キャットフィッシュ・ロウの住民たちはキティワ島にピクニックに出かける。ピクニックに行くベスと留守番をするポーギーの愛情が深まるクライマックスで歌われる二重唱。《ポーギーとベス》は当初、原作者のヘイワードが作詞を担当していたが、途中からこれまで弟と共に数々のミュージカルを手掛けたアイラ・ガーシュウィンも加わる。この楽曲はアイラ作詞・ジョージ作曲というブロードウェイ随一のコンビ、ガーシュウィン兄弟による「愛の二重唱」の名作の1つである。

《ポーギーとベス》は基本的にチャールストン土着の「ブラック・ミュージック」を舞台上に再現することを目指しているが、この二重唱には作曲者(と作詞者)のパーソナリティーが如実に現れているという指摘もある。例えば、 “Mornin’ time an’ ev’nin’ time an’ summer time an’ winter time.” (朝も夕べも夏も冬も)はユダヤ教の祈祷書の一節であり、メロディーも祈祷のそれとそっくりなのである。ユダヤ系ロシア移民2世として生まれたガーシュウィンはユダヤの音楽、つまりユダヤ教の宗教音楽やクレズマーに慣れ親しんだ少年期を過ごしていなかったが(後述のバーンスタインは積極的に享受していた)、彼の楽曲の多くにはその影響が垣間見える。

歌手より

〈Bess, You Is My Woman Now ベス、お前は俺の女だ〉

《ポーギーとベス》の作品において、サマータイムの次に有名なのはこの曲ではないだろうか。珠玉のデュエットのひとつといっても過言ではない。

曲の作りは意外にも単純で、それぞれのメロディラインがはっきりしておりハーモニーを奏でるところ自体は少ない。それにも関わらず、それぞれのメロディが重なりあうと匂い立つような妖艶な音楽が広がり、決していやらしくない糸を紡ぎ合うような香り高いデュエットに変身する。

独特のリズムや発音に苦戦したが、一貫して流れる規則的な曲の作りと、そこに流されず主導権を握り続けるそれぞれの歌い手と伴奏とのかけ引きがとてもクセになる。この曲は練習を重ねるごとに発見が止まらない曲であった。

[依光]

〈Ol’ Man river〉が黒人労働者の心を代弁した曲であるならば、このポーギーとベスは当時の彼らのありのままと、ポーギーという身体障害を負っている黒人労働者の中の更にマイノリティ、さらにその愛について書いていると思う。ガーシュウィンのそのジャズのイディオムの音楽の中で明るさ、悲しみ、愛、死別などを行き来するこの作品、そしてこの重唱は真に2人の愛を表現したものだろう。身体障害という当時の黒人でありながら働けない、でも心は明るく生きていこうとするポーギーと、それを受けとめ、認め、愛すると決めたベスとの〝誓い〟の重唱だと考える。

[奥秋]

歌詞対訳

Porgy:

Bess, you is my woman now, you is, you is!

An’ you mus’ laugh an’ sing an’ dancefor two instead of one.

Want no wrinkle on yo’ brow, nohow,

because de sorrow of de past is all done done

Oh, Bess, my Bess!

De real happiness is jes’ begun

Bess:

Porgy, I’s yo’ woman now, I is, I is!

An’ I ain’t never goin’ nowhere

‘less you shares de fun.

Dere’s no wrinkle on my brow, nohow,

but I ain’t goin’! You hear me sayin’,

if you ain’ goin’, wid you I’m stayin’!

Porgy, I’s yo’ woman now! I’s yours forever,

Mornin’ time an’ ev’nin’ time an’ summer time an’ winter time.

Porgy:

Mornin’ time an’ ev’nin’ time an’ summer time an’ winter time,

Bess, you got yo’ man.

Bess:

Porgy, I’s yo’ woman now, I is, I is!

An’ I ain’t never goin’ nowhere 

‘less you shares de fun.

Dere’s no wrinkle on my brow, nohow,

but I ain’t goin’! You hear me sayin’,

if you ain’ goin’, wid you I’m stayin’!

Porgy, I’s yo’ woman now! I’s yours forever,

Porgy:

Bess, you is my woman now an’ forever.

Dis life is jes’ begun, 

Bess, we two is one now an’ forever.

Oh, Bess, don’ min’ dose women.

You got yo’ Porgy, you loves yo’ Porgy,

I knows you means it, I seen it in yo’ eyes, Bess.

We’ll go swingin’ through de years a-singin’

Bess:

Mornin’ time an’ ev’nin’ time an’ summer time an’ winter time.

Porgy:

Mornin’ time an’ ev’nin’ time an’ summer time an’ winter time.

Bess:

Oh my Porgy, my man Porgy,

From dis minute I’m tellin’ you, I keep dis vow:

Porgy, I’s yo ‘woman now.

Porgy:

My Bess, my Bess,

From dis minute I’m tellin’ you, I keep dis vow:

Oh, my Bessie, we’s happy now, We is one now.

ポーギー:

ベス、お前は俺の女だ、そうだろ、そうだろ!

だから笑って歌って踊ってくれよ、俺のためにも

とにかく、お前の顔にしわが無かったらいいけど、

だって過去の悲しみは全部済んだじゃないか

ベス、俺のベス!

本当の幸せは始まったばかりだよ

ベス:

ポーギー、あたしはあんたの女よ、そうでしょ、そうでしょ!

だからあんたがあたしを幸せにしなくても、

私は何処にも行かないわ

とにかく、私の顔にしわが無ければいいけど

でもあたしは行かないわ! 私が言ってることが分かるでしょ

あんたにそのつもりが無くても、あたしはあんたのそばに居たいポーギー、あたしはあんたの女よ、ずっとあんたのものよ

朝も夕べも、夏も冬も

ポーギー:

朝も夕べも、夏も冬も

ベス、お前は俺を手にしたんだ

ベス:

ポーギー、あたしはあんたの女よ、そうでしょ、そうでしょ!

だからあんたがあたしを幸せにしなくても、

私は何処にも行かないわ

とにかく、私の顔にしわが無ければいいけど

でもあたしは行かないわ! 私が言ってることが分かるでしょ

あんたにそのつもりが無くても、あたしはあんたのそばに居たいポーギー、あたしはあんたの女よ、ずっとあんたのものよ

ポーギー:

ベス、お前は今もこれからもずっと俺の女だ

この生活が今始まったんだ

ベス、俺たちは今もこれからもずっと2人で1つだ

ベス、女たちのすることなんか気にするな

お前はポーギーを手にして、ポーギーを愛してるんだもの

お前が何を考えているかはお前の目を見れば分かるさ、ベス

俺たちは何年も愛し合って歌っていようよ

ベス:

朝も夕べも夏も冬も

ポーギー:

朝も夕べも夏も冬も

ベス:

あたしのポーギー、あたしの男、ポーギー

あんたに伝えるこの時から、あたしはこの誓いを守るわ

ポーギー、あたしはあんたの女よ

ポーギー:

俺のベス、俺のベス

お前に伝えるこの時から、俺はこの誓いを守ろう

俺のベスよ、俺たちは幸せだ、俺たちは今1つになったのさ


アメリカン・ヴォツェック?

様々なジャンルの音楽の語法を吸収していたガーシュウィンは、同時代のクラシック音楽の最前線で活躍する作曲家の活動にも注目していた。ラグタイムに熱中していた彼はピアノを習い始めると、今度はクラシックの演奏法を叩き込まれた。オーケストレーションや和声法も貪欲に学び続けた彼は、1928 年のヨーロッパ旅行の際、ストラヴィンスキー、ラヴェル、プロコフィエフ、クルト・ヴァイル、シェーンベルク、ナディア・ブーランジェらに会って見識を広めた。中でも最も刺激的な人物はウィーンのアルバン・ベルクだった。ガーシュウィンはベルクの《抒情組曲》のスコアを研究し、ニューヨークに帰った後も彼のサイン入りの写真をアパートの部屋の隅にかけた。これらを踏まえると、《ポーギーとベス》とベルクのオペラ《ヴォツェック》の関係性が示唆される。

作品冒頭、オーケストラの総奏に続くピアノのソロは《ヴォツェック》の酒場のシーンの模倣であり、その直後の有名な〈サマータイム〉も《ヴォツェック》の〈子守歌〉と類似している。そもそも、黒人でなおかつ満足に労働できず、恋人にはその内縁の元夫の影がちらつくポーギーの姿は、上官に虐げられ、医師の人体実験の実験台として小遣いを稼ぎ、内縁の妻を鼓手長に寝取られるヴォツェックを思い出させる。しかし、ガーシュウィンが目指したのは、こうした複雑なテクスチュアのベルクの音楽とブロードウェイ仕込みの洒落た展開や個々の楽曲の印象の融合なので、ヴォツェックとポーギーのそれぞれのキャラクターや物語の結末は全く異なる。


《ショウ・ボート》

〈オールマン・リヴァー〉
楽譜表紙(1927)

ガーシュウィンが『ポーギー』のオペラ化について原作者のヘイワードに連絡した 1932 年頃、彼の先輩作曲家ジェローム・カーンと、作詞家・脚本家オスカー・ハマースタイン2世(後に《サウンド・オブ・ミュージック》を遺した)も、この小説のミュージカル化を目論んでいた。これはもちろん実現されなかったが、それより以前にも、この2人は黒人差別を扱った作品を手掛けて、ミュージカルに強いドラマ性を持ち込んでいた。エドナ・ファーバーの同名小説に基づく《ショウ・ボート》(1927)は、ミシシッピ川沿いの町々で演芸を見せる演芸船(ショウ・ボート)「コットン・ブロッサム号」の船長の娘マグノリアと賭博師ゲイロードの恋愛を主に描いている。しかし、そのサイドストーリー(2人の馴れ初め)として、コットン・ブロッサム号の看板女優ジュリーの悲劇が描かれる。彼女は混血児(母が黒人)でありながら白人俳優のスティーヴと結婚したことが法に触れて、夫と共に船を降りることになった。《ポーギーとベス》と比較すると、真っ向から人種問題を扱ってはいないものの、その先駆けとなったことから《ショウ・ボート》も看過できない作品である。カーンとガーシュウィンの共通点をあえて挙げるなら、どちらもユダヤ系移民(カーンはドイツ移民)の家に生まれた。同時代の他のユダヤ系移民作曲家(アーヴィング・バーリンやリチャード・ロジャース)も「ブラック・ミュージック」の音楽素材を用いてポピュラーソングやミュージカルの分野で活躍したが、当時の白人には「ジャズ」と形容されている。この「ジャズ」の語用には「反・規範的」のような意味も込められていたが、東欧のクレズマー音楽とアフリカ系アメリカ人に一致する点がある(音楽の旋法やシンコペーション)ことはすでに立証され始めている。彼らが受けてきた差別や奴隷制の歴史を、自分たちのディアスポラ(民族離散)と重ね合わせたことも大いに推測できるだろう。

〈オールマン・リヴァー〉楽譜表紙(1927)

ガーシュウィンが『ポーギー』のオペラ化について原作者のヘイワードに連絡した 1932 年頃、彼の先輩作曲家ジェローム・カーンと、作詞家・脚本家オスカー・ハマースタイン2世(後に《サウンド・オブ・ミュージック》を遺した)も、この小説のミュージカル化を目論んでいた。これはもちろん実現されなかったが、それより以前にも、この2人は黒人差別を扱った作品を手掛けて、ミュージカルに強いドラマ性を持ち込んでいた。エドナ・ファーバーの同名小説に基づく《ショウ・ボート》(1927)は、ミシシッピ川沿いの町々で演芸を見せる演芸船(ショウ・ボート)「コットン・ブロッサム号」の船長の娘マグノリアと賭博師ゲイロードの恋愛を主に描いている。しかし、そのサイドストーリー(2人の馴れ初め)として、コットン・ブロッサム号の看板女優ジュリーの悲劇が描かれる。彼女は混血児(母が黒人)でありながら白人俳優のスティーヴと結婚したことが法に触れて、夫と共に船を降りることになった。《ポーギーとベス》と比較すると、真っ向から人種問題を扱ってはいないものの、その先駆けとなったことから《ショウ・ボート》も看過できない作品である。カーンとガーシュウィンの共通点をあえて挙げるなら、どちらもユダヤ系移民(カーンはドイツ移民)の家に生まれた。同時代の他のユダヤ系移民作曲家(アーヴィング・バーリンやリチャード・ロジャース)も「ブラック・ミュージック」の音楽素材を用いてポピュラーソングやミュージカルの分野で活躍したが、当時の白人には「ジャズ」と形容されている。この「ジャズ」の語用には「反・規範的」のような意味も込められていたが、東欧のクレズマー音楽とアフリカ系アメリカ人に一致する点がある(音楽の旋法やシンコペーション)ことはすでに立証され始めている。彼らが受けてきた差別や奴隷制の歴史を、自分たちのディアスポラ(民族離散)と重ね合わせたことも大いに推測できるだろう。

《Show Boat》- Ol’ Man River

ジョー:奥秋大樹/ピアノ:小野寺彩音

  • 楽曲解説
  • 歌手より
  • 歌詞対訳
楽曲解説

〈Ol’ Man River 父なる川〉

このミュージカルの舞台となるコットン・ブロッサム号の船出の直前に、黒人水夫のジョーによって歌われる曲である。Ol’ Man River とは父なる川という意味で、ミシシッピ川のことを指す。このミシシッピ川は、この曲において非常に重要な意味を持っている。まず、コットン・ブロッサム号が航行するミシシッピ川は、物語の舞台であると同時に隠れた主役でもある。そして、明らかに黒人霊歌を下地にしているこの曲において、ミシシッピ川は黒人霊歌の中に頻出するイメージである三途の川となる。また、ジョーという人物は黒人を代表させたような存在だといえる。彼は黒人ゆえの苦難による諦念や思想を持つ哲学者なのである。この曲を歌う直前、女優であるジュリーが黒人の血を引いているために船から降ろされ、ジョーに「オール・マン・リヴァー沿いでショーを続けなさい」と言い残して去っていく。このような、《ポーギーとベス》とも共通する黒人問題というテーマがジョーへと流れ込み、そしてジョーは「自由がない苦難の中にあっても、悠然と流れるミシシッピ川のようにありたい」とミシシッピ川に思いを託す。この歌そのものが大河のようであり、バスの深い声で朗々と歌われるこの曲のイメージは、雄大なミシシッピ川とそのまま重なるのである。この曲もそれを歌うジョーも物語の本筋とは関係がないが、巨大なテーマを内包したこの曲は特別な存在感を示している。ジョーはこう歌う。「生きることにも疲れた、でも死ぬことを恐れてもいる」と。今の厳しい世の中でこの言葉がずしりと響いてきたのは、きっと私だけではないだろう。

[小野寺]

歌手より

〈O’l Man River 父なる川〉

この曲を歌うにあたり、作品はもちろん、やはり当時のアメリカにおける黒人労働者の歴史を知らねばならなかった。歌詞の中でも「生きるのに疲れた、でも死ぬのは怖い」その相反する言葉の中に当時の悲痛さが如実に現れている。そしてある種、目の前の雄大なミシシッピをヨルダン川のように想い、父にすがるようにやり切れない苦しみを吐露しているように感じられる。その苦しみに反して、音楽はバンジョーの音色にどこか牧歌的ではあるが、根底に黒人霊歌の重みがあり、この曲の言葉は今の黒人の方々にとっても当時の歴史を背負う心の Anthem ともいえる歌であると思う。

[奥秋]

歌詞対訳

Joe:

Dere’s an ol’ man called de Mississippi,

Dat’s de ol’ man dat I’d like to be;

What does he care if de world’s got troubles?

What does he care if de land ain’t free?

Ol’ man River, dat ol’ man River,

He mus’ know sumpin’, But don’t say nothin’,

He just keeps rollin’, He keeps on rollin’ alon’.

He don’t plant’ taters, He don’t plant cotton,

An’ dem dat plant ‘em is soon forgotten,

But Ol’ man River, He jes keeps rollin’ alon’.

(Repeat)

You an’ me we sweat an’ strain,

Body all achin’ an’ racked wid pain.

“Tote dat barge! Lift dat bale!”

Git a little drunk an’ you’ll land in jail.

Ah gits weary an’ sick of try’in’,

Ah’m tired of livin’ an’ scared of dyin’,

But ol’ man River, He jes’ keeps rollin’ alon’!

(Repeat)

ジョー:

ミシシッピ川はオールマンと呼ばれているけど

俺もあの川のようにありたいと思うんだ

困ったことがあっても悠然としていて

自由のない地でも悠然としているさ

父なる川(オールマン・リヴァー)よ

必ず真理を知っているのに、何も語らない

ただ流れ行くだけ、流れ続けるだけなのだ

ジャガイモも植えないし、綿も植えない

それを植えた人たちはすぐに忘れ去られる

でも父なる川は、ただ流れ続けるだけなのだ

(繰り返し)

俺たちみんな汗水流して耐え忍んで

体じゅうが悲鳴を上げて、痛みに苛まれる

「舟を引っ張れ!荷を揚げろ!」

酒で酔ったら監獄行き

働くのに疲れたし、頑張るのももう嫌だ

生きるのもこりごりだけど、死ぬのは怖い

でも父なる川は、ただ流れ続けるだけなのだ

(繰り返し)

プロムナード

《マイ・フェア・レディ》

《マイ・フェア・レディ》は 1956 年にブロードウェイで初演されたミュージカルである。ジョージ・バーナード・ショウの『ピグマリオン』を原作とし、作詞・脚本をアラン・ジェイ・ラーナー、作曲をフレデリック・ロウ Frederick Loewe(1901–1988)が務めた。1964 年には映画化されており、主役のイライザをオードリー・ヘップバーンが、ヒギンズ教授を初演と同じくレックス・ハリソンが演じた。また、1963 年には日本初演が行われている。これは日本におけるミュージカル上演の先駆けであったといえ、その意味でも非常に意義深い作品である。


物語の舞台は、上流階級と労働者階級の格差が色濃く残る 20 世紀初頭のロンドン。ある土砂降りの夜、音声学者のヒギンズ教授は、コヴェント・ガーデンで貧しい花売り娘のイライザと出会う。コヴェント・ガーデンにはオペラハウスと青果市場が立ち並び、上流階級と労働者階級が交わる場となっていたのだ。イライザの下品なコックニー(労働者階級特有の訛りの英語)に興味を持ったヒギンズは、彼女に正しい英語の発音を教え込み、上流階級の仲間入りをさせようと画策する。イライザを使って、発音と階級の相関関係の壮大な実験をしてやろうというのである。彼女の発音訓練は難航したが、最終的には舞踏会で気品あるレディを演じきるまでに成長する。イライザが無事にレディになって一件落着の単なるシンデレラ・ストーリーではないのが、このミュージカルの面白いところだ。舞踏会でイライザをレディに仕立てる実験は大成功したものの、称賛されるのはヒギンズばかりでイライザのことには誰も目もくれない。正しい英語の獲得によってそれ相応の思考力と自立心を手に入れたイライザは、自分がお人形であったことに気がつき、それに我慢ならないのである。彼女はもはやヒギンズの操り人形ではなく、彼と対等で聡明な一人の女性になっていた。そしてヒギンズにとっても、彼女は単なる研究対象ではなくなっていたのである。そこに恋が芽生えているのは言わずもがなであろう。

《マイ・フェア・レディ》

初演時のプログラム表紙(写真左:イライザ役のジュリー・アンドリュース/写真右:ヒギンス教授役のレックス・ハリソン)(1956)

ブロードウェイ初演時のプログラム表紙(写真左:イライザ役のジュリー・アンドリュース/写真右:ヒギンス教授役のレックス・ハリソン)(1956)

物語の舞台は、上流階級と労働者階級の格差が色濃く残る 20 世紀初頭のロンドン。ある土砂降りの夜、音声学者のヒギンズ教授は、コヴェント・ガーデンで貧しい花売り娘のイライザと出会う。コヴェント・ガーデンにはオペラハウスと青果市場が立ち並び、上流階級と労働者階級が交わる場となっていたのだ。イライザの下品なコックニー(労働者階級特有の訛りの英語)に興味を持ったヒギンズは、彼女に正しい英語の発音を教え込み、上流階級の仲間入りをさせようと画策する。イライザを使って、発音と階級の相関関係の壮大な実験をしてやろうというのである。彼女の発音訓練は難航したが、最終的には舞踏会で気品あるレディを演じきるまでに成長する。イライザが無事にレディになって一件落着の単なるシンデレラ・ストーリーではないのが、このミュージカルの面白いところだ。舞踏会でイライザをレディに仕立てる実験は大成功したものの、称賛されるのはヒギンズばかりでイライザのことには誰も目もくれない。正しい英語の獲得によってそれ相応の思考力と自立心を手に入れたイライザは、自分がお人形であったことに気がつき、それに我慢ならないのである。彼女はもはやヒギンズの操り人形ではなく、彼と対等で聡明な一人の女性になっていた。そしてヒギンズにとっても、彼女は単なる研究対象ではなくなっていたのである。そこに恋が芽生えているのは言わずもがなであろう。

《My Fair Lady》- I Could Have Danced All Night

イライザ:岩舩利佳/ピアノ:小野寺彩音

  • 楽曲解説
  • 歌手より
  • 歌詞対訳
楽曲解説

〈I Could Have Danced All Night 踊り明かそう〉

夜通しヒギンズと発音訓練をし、ついに “The rain in Spain stays mainly in the plain.” という例文の発音をマスターしたイライザが喜びのあまり歌う曲である。初めて正しい英語の発音ができ、レディの仲間入りができる可能性が見えてきたという舞い上がるような気持ちが、軽快なオーケストラに乗せて歌われる。このオーケストラは、興奮のあまり速くなる心臓の鼓動であるようにも感じられる。嬉しくて嬉しくて目が冴えてしまって、侍女たちにたしなめられても眠ることなんかできないのだ。この曲には、正しい発音ができたということとは別のもう一つの喜びが隠されていると捉えることもできる。それは、ヒギンズへの恋心の自覚である。「彼が私と踊ってくれたの!」という彼は言うまでもなくヒギンズのことだ。イライザが自分の恋に気づいているにせよいないにせよ、初めは反発していたヒギンズがすでに特別な存在になっていることは明らかである。また、この曲の旋律はイライザを象徴するライトモティーフのような使われ方をしており、映画では彼女が印象的に登場する場面で効果的に用いられている。競馬場での失敗の後にはヴァイオリンの悲しげな音色で、舞踏会用のドレスを着て登場するときには気品あふれるゴージャスな曲調でといった具合にだ。ぜひ注目して聴いてみてほしい。

歌手より

〈I Could Have Danced All Night 踊り明かそう〉

邦題では『踊り明かそう』と表現されることの多いこの曲ですが、直訳すると「一晩中踊れただろう」になります。強い推量の意味合いが含められたように思えるこの題は、この曲を歌うイライザの心境にぴったりなように感じられます。細かい音符で畳み掛けるように言葉を紡いでいく曲の前半ではイライザの気持ちの昂まりを、伸びやかな音形に乗せて何度も “danced” という言葉を繰り返す後半では、自由で喜びに満ちた感情を表現できたらと思いつつも、演奏している自分自身が1番楽しくなってしまう。そんな素敵な曲だと思っています。

[岩舩]

歌詞対訳

Eliza:

Bed! Bed! I couldn’t go to bed!

My head’s too light to try to set it down!

Sleep! Sleep! I couldn’t sleep tonight

Not for all the jewels in the crown!

(Repeat)

I could have danced all night!

I could have danced all night

And still have begged for more.

I could have spread my wings

And done a thousand things I’ve never done before.

I’ll never know What made it so exciting;

Why all at once My heart took flight.

I only know when he

Began to dance with me

I could have danced, danced, danced all night!

(Repeat)

イライザ:

ベッドへ!ベッドですって!寝ることなんてできないわ!

寝転がるには頭が冴えわたり過ぎてるの!

眠れ!眠れですって!今夜は眠れないわ!

王様の宝石を全部くれたってね!

(繰り返し)

私、一晩中踊ることだってできたのよ!

それにまだ踊り足りないわ。

翼を広げることだってできたの

やったこともないたくさんのことができるような気がしたわ。

何であんなに興奮したのか分からないでしょうね

何で突然私の心が飛び立ったのかも。

私がたった一つ分かるのは

彼が私と一緒に踊り始めると

私は一晩中でも踊って踊って踊りまくれたっていうことよ!

(繰り返し)

メイフェア・レディ?~タイトルの謎~

このミュージカルのタイトルである “My fair lady” は直訳すると「私の美しい女性」となる。これでもミュージカルの物語には十分合致しているが、実はこのタイトルにはある言葉遊びが隠されているという説がある。このミュージカルに出てくるコックニーという訛りの大きな特徴は、[ei](エイ)という発音が [ai](アイ)になってしまうということである。イライザが作中で “The rain in Spain stays mainly in the plain.”(ザ レイン イン スペイン ステイズ メインリー イン ザ プレイン)という例文に四苦八苦しているのもそのためだ。そして、ロンドンにはメイフェア(Mayfair)地区という高級住宅街があり、そこに住む良家の子女たちはまさにイライザが目指している存在であるといえよう。「メイフェア・レディ」というわけだ。ここまでくればもうお分かりだろうか?「メイフェア・レディ」をコックニー訛りで話すと「マイフェア・レディ」となる。つまり、このミュージカルのタイトルは高級住宅街のレディたちとコックニー訛りを掛け合わせた言葉遊びだと解釈することができるのだ。この解釈の真偽のほどは定かではないが、作品序盤のイライザが憧れを込めてそう言っていると想像すると面白いのではないだろうか。

ミュージカルと映画

ミュージカルといえばブロードウェイ、映画と言えばハリウッド。これら2つの地を内包するアメリカで発展したミュージカルと映画が密接な関係にあるのは必然的なことだった。ミュージカルの映画化や映画のミュージカル化が盛んに行われ、相互に影響を与え合いながら数々の作品が生み出されたのである。ここでは前者の「映画化されたミュージカル」、すなわちミュージカル映画についてお話ししたいと思う。ミュージカル映画の歴史は、ちょうどトーキー(有声映画)の発展と重なる。1927 年に公開された《ジャズ・シンガー》は、不完全ではあるがトーキーの第1作目であり、最初期のミュージカル映画だと見なされることが多い。この作品は音楽と映像が結びついた新たな芸術の可能性を打ち出し、後のミュージカル映画の土台となったのである。事実この映画のヒットをきっかけに、続々とミュージカル映画が制作された。新しい「音が聞こえる映画」の魅力を前面に打ち出すのに、歌って踊るミュージカルはまさに格好の題材だったのだろう。《マイ・フェア・レディ》も映画化されたミュージカルの一つである。1964 年に映画化され、オードリー・ヘップバーンが主役のイライザを演じ、愛らしく素晴らしい歌声を響かせている……と言いたいところなのだが、実はこの歌声の大半は彼女のものではない。イライザの歌唱シーンは、マーニ・ニクソンという別の歌手が吹き替えており、オードリーの歌声は各曲の初めなどのほんの一部分しか使用されていないのである(もちろんオードリーもイライザを演じるにあたってきちんと歌唱レッスンを受け、歌の収録も行っていたのだが)。このような手法はミュージカル映画に特有ものであるといえる。オペラが映画化されるときには、演技をする人と歌い手が別人などということは起こらないのだ。このミュージカル映画独特の現象は、演技と歌唱の両面が重視され、なおかつ芝居部分の持つ力が非常に強いということの現れだといえるだろう。映画を成功させるためにはイライザ役はオードリー・ヘップバーンでなければ……しかし理想の歌も追い求めなければならない……そんな板挟みの中で生まれたのが、この苦肉の策だったのかもしれない。

《My Fair Lady》- On the Street Where You Live

フレディ:髙橋伽徳/ピアノ:小野寺彩音

  • 楽曲解説
  • 歌手より
  • 歌詞対訳
楽曲解説

〈On the Street Where You Live 君住む街角〉

フレディという貴族の青年は、レディに成りすまして貴族の社交場である競馬場にやってきたイライザに一目惚れしてしまう。フレディは彼女を追ってヒギンズ邸までやってきたが、ヒギンズに声をかける度胸もドアをノックする勇気もない。そんな時に歌うのがこの曲である。オペラでいえばレチタティーヴォに近い前半部分では、上流階級(に化けている)にも関わらず、下品な言葉遣いで自分の聞いたこともない話をしゃべるイライザに惚れてしまったと語る。そしてアリアに近い後半部分では、恋した女性がこの通り(Street)に住んでいる!と思うだけで浮足立ち、この通りにいられるだけで幸せだと歌うのだ。恋した女性を追いかけて家にまで来てしまうなんて、現代ならちょっとストーカーみたいなものだが、携帯電話もスマホもない時代なのだからそれも仕方のないことだろう。結局のところ、この青年フレディの恋は実らない。彼の恋は片思いで終わり、ミュージカルの結末ではイライザとヒギンズが結ばれることが暗示されているのである。しかし、原作の『ピグマリオン』ではイライザはフレディと結婚し、彼が没落貴族であったために後に不幸になることが記されている。ミュージカルで結末が変更されたのは、主役同士が結ばれるハッピーエンドにするためであろうが、そのためにミュージカルにおけるフレディの役が中途半端になってしまっている。結果的に、《ドン・ジョヴァンニ》のドン・オッターヴィオを思い出させるような少々情けない男という印象を与えてしまっているかもしれない。しかし、恋の真っただ中で夢見心地のこの曲はフレディだからこそ歌える、甘く魅力的な歌であろう。

歌手より

〈On the Street Where You Live 君住む街角〉

恋をした男が情熱的に歌うような歌曲はこの世に山ほどありますが、この曲からは特にピュアで、下心のない(??)ような感性を感じ取れる点が、個人的なお気に入りポイントです。汚い言葉遣いや風変わりな話に興味は持っても自分から言うことは恥じらったり、ただ彼女の家の近くにいるだけでこれだけ歌えるほど興奮してしまったり(変態?)と、歌っていてもうまく感情を乗せやすく、楽しめる歌だと感じます。

一方で、高揚した彼の口から次々と発される言葉の数々の紡ぎ方や、英国貴族の発音など、技巧的に一筋縄ではいかない点もまた面白いところだと思います。

[髙橋]

歌詞対訳

Fredy:

When she mentioned how her aunt bit off the spoon,

She completely done me in.

And my heart went on a journey to the moon,

When she told about her father and the gin.

And I never saw a more enchanting farce

Than that moment when she shouted

“move your bloomin’ “….

I have often walked down this street before;

But the pavement always stayed beneath my feet before.

All at once am I Several stories high.

Knowing I’m on the street where you live.

Are there lilac trees in the heart of town?

Can you hear a lark in any other part of town?

Does enchantment pour Out of ev’ry door?

No, it’s just on the street where you live!

And oh! The towering feeling

Just to know somehow you are near.

The overpowering feeling

That any second you may suddenly appear!

People stop and stare. They don’t bother me.

For there’s no where else on earth that I would rather be.

Let the time go by, I won’t care if I

Can be here on the street where you live.

フレディ:

叔母がスプーンを噛みちぎったんだと彼女が話したとき、

彼女は完全に僕の心を射抜いてしまった

僕の心は月へと舞い上がってしまった、

彼女が父親とジンの話をしたときには。

僕はあんなに面白い見世物を見たことがなかった

彼女があんな風に叫んだときのような

「(馬の)けつをひっぱたけ」

僕はよくこの通りを歩いてきたけれど、

今まではいつも地に足がついていた

突然僕は浮き足立ってしまう

君が住む通りにいると知っているから

町の中心にライラックの木はあるのかな?

君は町のあちこちでヒバリの声を聞くのかい?

魔法の力がすべてのドアから溢れてきているのか?

いいや、君が住む通りでだけだ!

ああ!高まるこの気持ち

君が近くにいると知るだけで

抗いがたいこの気持ち

君がまた突然現れるかもしれない!

人々が立ち止まってじろじろ見ても、僕を邪魔することはできない

この地球上で他にいたい場所なんてどこにもない

どんなに時間が過ぎても、僕は気にしない

君が住むこの通りにいることができるのだから

訛りと階級

《マイ・フェア・レディ》
撮影時のオードリー・ヘップバーン
(1964)

このミュージカルでは、奇しくもこの Studio 1 の企画で重要視されている「訛り」の問題が扱われている。「言葉遣いさえ綺麗になれば、階級格差を乗り越えることができるのか?」という問いは、日本人の我々にとっては荒唐無稽に思えるかもしれないが、《マイ・フェア・レディ》の舞台である 20 世紀初頭のロンドンでは現実味を帯びてくる。上流階級と労働者階級の差は厳然としてあり、言葉遣いはもちろん立ち居振る舞いや身なりの格差が顕著に見られるのである。英語が母語ではない筆者が聞いても、物語序盤のイライザの話し方が汚く粗野であり、ヒギンズの話し方はすっきりとして品があることが一目(一聴?)瞭然であった。例え差別的な側面を含んでいようとも、ヒギンズの言うように、言葉遣いが人となりを定義づける可能性は確かにあると感じざるをえない。実際問題、言葉遣いが綺麗になれば侍女や店員にもなれる。貴族のレディとまでいかなくとも、花売りよりはよっぽどましな暮らしができる可能性が拓けてくるのだ。このミュージカルにおいて興味深いのが、イライザが美しい言葉遣いを獲得していく過程でそれ相応の思考力を身に着け、自立していっていることである。これはイライザに与えられる楽曲の内容が、正しい発音を獲得した〈I Could Have Danced All Night〉を境に、後半にいくにつれて複雑になっていくことからも読み取れる。例えば〈Wouldn’t It Be Loverly? 素敵じゃない?〉は非常に単純な曲構造をしているし、〈Just You Wait 今に見てろ〉では h を発音しないというコックニー訛り丸出しである(エンリー・イギンズと連呼している)。〈I Could Have Danced All Night〉も発音は完璧になったが同じ歌詞を3回繰り返すという、構造としては単純なものである。それが終盤の〈Without You あなたなしでも〉まで来ると、序盤の曲とは比べ物にならないほど内容が高度なものになっていることが分かる。「スペインの雨」の話を引用して皮肉を言ったり、言葉の内容に合わせて曲想がころころ変化したりと、彼女が身につけた機知を表しているのだ。イライザの成長を楽曲構造の変化で表現していることは、ミュージカルという音楽劇ならではの試みだろう。

撮影時のヘップバーン(1964)

このミュージカルでは、奇しくもこの Studio 1 の企画で重要視されている「訛り」の問題が扱われている。「言葉遣いさえ綺麗になれば、階級格差を乗り越えることができるのか?」という問いは、日本人の我々にとっては荒唐無稽に思えるかもしれないが、《マイ・フェア・レディ》の舞台である 20 世紀初頭のロンドンでは現実味を帯びてくる。上流階級と労働者階級の差は厳然としてあり、言葉遣いはもちろん立ち居振る舞いや身なりの格差が顕著に見られるのである。英語が母語ではない筆者が聞いても、物語序盤のイライザの話し方が汚く粗野であり、ヒギンズの話し方はすっきりとして品があることが一目(一聴?)瞭然であった。例え差別的な側面を含んでいようとも、ヒギンズの言うように、言葉遣いが人となりを定義づける可能性は確かにあると感じざるをえない。実際問題、言葉遣いが綺麗になれば侍女や店員にもなれる。貴族のレディとまでいかなくとも、花売りよりはよっぽどましな暮らしができる可能性が拓けてくるのだ。このミュージカルにおいて興味深いのが、イライザが美しい言葉遣いを獲得していく過程でそれ相応の思考力を身に着け、自立していっていることである。これはイライザに与えられる楽曲の内容が、正しい発音を獲得した〈I Could Have Danced All Night〉を境に、後半にいくにつれて複雑になっていくことからも読み取れる。例えば〈Wouldn’t It Be Loverly? 素敵じゃない?〉は非常に単純な曲構造をしているし、〈Just You Wait 今に見てろ〉では h を発音しないというコックニー訛り丸出しである(エンリー・イギンズと連呼している)。〈I Could Have Danced All Night〉も発音は完璧になったが同じ歌詞を3回繰り返すという、構造としては単純なものである。それが終盤の〈Without You あなたなしでも〉まで来ると、序盤の曲とは比べ物にならないほど内容が高度なものになっていることが分かる。「スペインの雨」の話を引用して皮肉を言ったり、言葉の内容に合わせて曲想がころころ変化したりと、彼女が身につけた機知を表しているのだ。イライザの成長を楽曲構造の変化で表現していることは、ミュージカルという音楽劇ならではの試みだろう。


―COLUMN― 

ミュージカルのピアノ伴奏はつまらない?!

「ミュージカルのピアノ伴奏はつまらない」なんて少し攻撃的なタイトルにしてしまったが、誤解を招かないように言っておくと、決してミュージカルを伴奏することがつまらないわけではない。ミュージカルのピアノ編曲譜を「そのまま」弾くのがつまらないのである。私はStudio 1 のこの企画でキュレーター兼伴奏者を務めており、演奏する中で常々そう感じていた。右手は歌の旋律をなぞっているばかり、左手は単純な和音のリズム伴奏でしかも妙に跳躍が多くて弾きにくい……。どうにも手に入りにくいのに、練習していざ弾けるようになっても演奏効果はそれほど高くないという悪循環なのだ。このようにミュージカルのピアノ伴奏譜がいまいちなことが多いのは、ミュージカルの伴奏音楽が持つ特性が大きく関わっている。そもそも、ミュージカルの多くは「たった一つの確固たる伴奏」というものを持っていないのである。

例えば、モーツァルトのオペラを思い浮かべてみるとミュージカルとの差がよく分かる。モーツァルトのオペラ・アリアにはオーケストラの伴奏が付けられていて、レチタティーヴォの部分を別にすれば、基本的に楽譜から一音たりとも変えることはない。もしオーケストラが自分勝手に音を足したり引いたりしたら、モーツァルトに怒られてしまうだろう。オーケストラ譜をピアノで弾けるように編曲した楽譜でも、もとのオーケストラの音楽を再現するよう心掛けて作られている。モーツァルトのオペラ・アリアの伴奏をしていて万が一「なんだか弾きにくいな」と感じても、おおもとのオーケストラ譜を確認して「ああオーケストラではこうなっているんだ、じゃあこう工夫すれば弾きやすくなるな」と考えることができるのだ。しかしミュージカルの多くには、このようにお手本になるようなたった一つのオーケストラ譜というものがない。これには、ミュージカルの作曲過程がオペラとは大きく異なることが関係している。

ミュージカルにはソングライターと編曲者の二人三脚で作曲するという文化が存在する。ソングライターは文字通り歌の旋律を作曲し、編曲者がそれに合ったオーケストラ伴奏をつけるのだ。ミュージカルがヒットするためには、誰しもの耳に残り口ずさめるような魅力的なメロディーが欠かせない。つまり良い歌の旋律が最も重要で、伴奏というのは悪く言えば二の次で BGM に近いものなのである。ワーグナーがオペラ(楽劇)を台本の構想から歌の旋律、ライトモティーフを綿密に織り込んだオーケストラに至るまで総合して創作したのとは大違いで、ミュージカルでは一人の作曲家が作品全体を支配し責任を持つことは少ないのだ。

そのようなミュージカルの伴奏は、良い意味で捉えれば非常に自由度が高いものだといえる。ともすればシンプルすぎるピアノ編曲譜は、つまりは自分の好きなように弾くことが許されている楽譜なのである(もちろん「自分勝手に」弾いていいわけではない)。そこにはジャズのセッションに似た感覚があり、自分で前奏を足してみたり、歌い手の顔色を見ながらおしゃれな合いの手を入れたりすることだってできるのだ。演奏の数だけ伴奏の種類があり、伴奏ピアニストでありながらアレンジャーにもクリエイターにもなれる。だからこそ、ミュージカルのピアノ伴奏をしているとワクワクして仕方がない。私は歌の伴奏をするとき、普段弾いているモーツァルトのオペラ・アリアは楽譜通りにきっちりと、逆に《マイ・フェア・レディ》では自由にアレンジして、ガーシュウィンは楽譜はきちんとあるけどだいぶジャズみたいだ……そしたらいい感じに崩して即興っぽく弾こうかな……そんなことを考えながらピアノに向かっている。私もオペラとミュージカルの狭間を旅しているのかもしれない。

作曲家バーンスタインの最盛期

ピアノに向かって作曲するバーンスタイン(1955)

レナード・バーンスタイン Leonard Bernstein(1918–1990)はクラシック界では「折衷主義的な」作風という点で、ガーシュウィンの後継者と見なされることもあるだろう。確かに、両者がアメリカ人によるアメリカの音楽を追求し、結果 20 世紀アメリカにおけるミュージカル(やオペラ)の傑作を遺したという点では共通するが、彼らのバックグラウンドは異なる点が多い。生粋のニューヨーカー(ブルックリン生まれだが)でポピュラー音楽の作曲家を志向したガーシュウィンに対して、バーンスタインはマサチューセッツ州で生まれ育ち、ハーバード大学とカーティス音楽院で学業を修めた後にニューヨークに進出したエリートで、作曲家だけでなく、指揮者、ピアニスト、テレビ番組の MC 、教育者まで様々な分野で活躍した。これを踏まえて、晩年の彼に数度インタビューを行った音楽ジャーナリストのエンリコ・カスティリオーネは自著の中でこのように述べている。

ピアノに向かって作曲するバーンスタイン(1955)

レナード・バーンスタイン Leonard Bernstein(1918–1990)はクラシック界では「折衷主義的な」作風という点で、ガーシュウィンの後継者と見なされることもあるだろう。確かに、両者がアメリカ人によるアメリカの音楽を追求し、結果 20 世紀アメリカにおけるミュージカル(やオペラ)の傑作を遺したという点では共通するが、彼らのバックグラウンドは異なる点が多い。生粋のニューヨーカー(ブルックリン生まれだが)でポピュラー音楽の作曲家を志向したガーシュウィンに対して、バーンスタインはマサチューセッツ州で生まれ育ち、ハーバード大学とカーティス音楽院で学業を修めた後にニューヨークに進出したエリートで、作曲家だけでなく、指揮者、ピアニスト、テレビ番組の MC 、教育者まで様々な分野で活躍した。これを踏まえて、晩年の彼に数度インタビューを行った音楽ジャーナリストのエンリコ・カスティリオーネは自著の中でこのように述べている。

(バーンスタインは)音楽家という言葉のもっとも真正な意味で、ひとりの音楽家であり、彼自身の中で、古代ギリシャ社会において音響的表現が表象していたあの「一なるものにおける様々なものの調和」を実現していた(カスティリオーネ、エンリコ『バーンスタイン音楽を生きる』笠羽映子訳、東京:青土社、1999 年)。

どちらもアメリカの折衷主義音楽の代表格であるということは、単に彼らの「引き出しが多い」という作曲家としてのアドバンテージを示すのみで、これをもとに両者の創作態度を同一視するのは危険であると考えられよう。

プロローグ

バーンスタインの指揮者、そして作曲家としてのキャリアは、ほぼ同時期(1940 年代前半)に花開く。1943 年に、体調不良のブルーノ・ワルターの代理としてニューヨーク・フィルハーモニック(以下ニューヨーク・フィル)を指揮し、鮮烈なデビューを飾った。そして、翌年に初演した自作の《交響曲第1番『エレミア』》は、ニューヨーク音楽批評家協会によって、このシーズンの全米最優秀オーケストラ作品に選ばれた。ここからバーンスタインは指揮者としてのキャリアを積み重ねながら、作曲活動にも邁進する。その創作の中心は常に劇音楽だった。ブロードウェイへのデビューとなった《オン・ザ・タウン》(1944)、次いで発表した《ワンダフル・タウン》(1953)でミュージカル作曲家としての人気と実力を獲得した。また、初めてのオペラ《タヒチ島の騒動》(1952)では、両親サミュエル(サム)とジェニーをモデルとした一家の生活を描いた。各地のオーケストラへの客演やスカラ座を含むオペラの指揮活動をこなしながら、交響曲や映画音楽といったその他のジャンルの楽曲も手掛けた後、バーンスタインは 1950 年代後半に入ると後に彼の代表作となる2作のミュージカルを同時進行で手掛けることとなった。


《ウェスト・サイド・ストーリー》

イースト・サイド・ストーリー?

《ウェスト・サイド・ストーリー》
映画公開時のポスター(1960)

1949 年、「きわめて感動的なアメリカ・オペラ」の作曲を夢見ていたバーンスタインのもとに、《オン・ザ・タウン》の振付を担当したジェローム・ロビンズが、『イースト・サイド・ストーリー』という企画を持ってきた。この時の構想では、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の舞台を復活祭と「過ぎ越しの祭り」が重なったスラム街に置き換えた現代版で、カトリック(モンタギュー)とユダヤ教徒(キャピュレット)との対立を描くというものだった。ロビンズの「ミュージカル・コメディの言葉で、ミュージカル・コメディの技術を駆使して、決して『オペラ的な』罠におちいることなく悲劇を物語るミュージカルを作る」というアイデアにバーンスタインは興味を抱いたが、脚本家の人選が決定しただけで、この企画は立ち消えになった。

ロビンズの主導でこの企画が復活したのは6年後の 1955 年である。ロサンジェルスでの「メキシコ人とアングロ系白人の抗争」を報じた記事に目を付けたバーンスタインは、当初のカトリック対ユダヤからポーランド系移民対プエルトリコ系移民に設定を移した。この方向転換によって、劇中の〈マンボ〉や〈アメリカ〉のようなラテンアメリカのリズミカルな楽曲が生まれたことはいうまでもない。さらに、マンハッタンのイースト・サイドのスラム街が取り壊されて少年たちが西に移動したことを受けて《ウェスト・サイド・ストーリー》に改名し、作詞には若きスティーヴン・ソンドハイムを抜擢した。ワシントン D.C. とフィラデルフィアでのトライアウト(試験興行)を経て、1957 年にブロードウェイ初演を迎えると、この作品は批評家と聴衆の両方から圧倒的な支持を得た。間違いなく最もポピュラーなバーンスタイン作品、ブロードウェイ・ミュージカルの定番、20 世紀音楽史に刻まれた傑作である。

《ウェスト・サイド・ストーリー》映画公開時のポスター(1960)

1949 年、「きわめて感動的なアメリカ・オペラ」の作曲を夢見ていたバーンスタインのもとに、《オン・ザ・タウン》の振付を担当したジェローム・ロビンズが、『イースト・サイド・ストーリー』という企画を持ってきた。この時の構想では、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の舞台を復活祭と「過ぎ越しの祭り」が重なったスラム街に置き換えた現代版で、カトリック(モンタギュー)とユダヤ教徒(キャピュレット)との対立を描くというものだった。ロビンズの「ミュージカル・コメディの言葉で、ミュージカル・コメディの技術を駆使して、決して『オペラ的な』罠におちいることなく悲劇を物語るミュージカルを作る」というアイデアにバーンスタインは興味を抱いたが、脚本家の人選が決定しただけで、この企画は立ち消えになった。

ロビンズの主導でこの企画が復活したのは6年後の 1955 年である。ロサンジェルスでの「メキシコ人とアングロ系白人の抗争」を報じた記事に目を付けたバーンスタインは、当初のカトリック対ユダヤからポーランド系移民対プエルトリコ系移民に設定を移した。この方向転換によって、劇中の〈マンボ〉や〈アメリカ〉のようなラテンアメリカのリズミカルな楽曲が生まれたことはいうまでもない。さらに、マンハッタンのイースト・サイドのスラム街が取り壊されて少年たちが西に移動したことを受けて《ウェスト・サイド・ストーリー》に改名し、作詞には若きスティーヴン・ソンドハイムを抜擢した。ワシントン D.C. とフィラデルフィアでのトライアウト(試験興行)を経て、1957 年にブロードウェイ初演を迎えると、この作品は批評家と聴衆の両方から圧倒的な支持を得た。間違いなく最もポピュラーなバーンスタイン作品、ブロードウェイ・ミュージカルの定番、20 世紀音楽史に刻まれた傑作である。

《West Side Story》 – Maria

トニー:喜多村泰尚/ピアノ:岩舩利佳

  • あらすじ
  • 楽曲解説
  • 歌手より
  • 歌詞対訳
あらすじ

《West Side Story ウェスト・サイド・ストーリー》

ニューヨークのウエスト・サイドではリフ率いるポーランド系少年グループ「ジェッツ(ジェット団)」とベルナルド率いる新参のプエルトリコ系少年グループ「シャークス(シャーク団)」が抗争を繰り広げていた。中立地帯の体育館で行われたダンスパーティーでジェッツがシャークスに翌日の決闘を申し込むが、ジェッツの元メンバーのトニーとベルナルドの妹マリアが出会い、互いに一目惚れする。2人はマリアの家の非常階段や彼女の働くブライダルショップで愛を育むが、周りの人々の憎悪が新たな憎悪を生み、この恋はたった2日で最悪の結末を迎える。

楽曲解説

〈Maria マリア〉

ダンスパーティーで出会った少女の名前をシャークスの会話からマリアと知ったトニー。「今まで聴いた中で最も美しい響き」と彼女の名前を称えるアリア。ここで彼女の姿や性格、仕草を称えるのではなく、その名前を称えるというのは作詞のソンドハイムのアイデアである。弱冠 20 代でありながら、彼の非凡なセンスがここに垣間見える(そもそもヒロインの名前に聖母の名を採用していることに何か意味はあるのか?)。後半の 10 回に及ぶ「マリア!」はテノールの見せどころであり、難所である。

ちなみに「マリア」の歌詞に充てられた音は、ミ♭―ラ―シ♭(E♭-A-B♭)、ミ♭とラの音程は増4度と呼ばれる非常に不協和なものである。増4度はこの劇中でジェッツとシャークスの不和を象徴する音程として用いられる。例えば、〈プロローグ〉の口笛や〈クール〉のメロディーがそれだ。そして、ラから半音上のシ♭に上がることで、ミ♭とシ♭の音程が完全5度なので、「不和」が解消される。バーンスタインは好んで音遊びを仕掛けていたが、これも代表的な例の1つである。

歌手より

〈Maria マリア〉

シンプルな詩に、シンプルなメロディー、それを支えるのはマリアの出身国、プエルトリコを連想させるラテンのリズムというのが、なんとも洒落たつくりで流石はバーンスタインと思わざるをえません。

今回の演奏に際しては、とくに細かいところにこだわって伴奏と合わせてきたので、その部分を聴いて感じてもらえればと思います。

[喜多村]

歌詞対訳

Tony:

Maria…

The most beautiful sound I ever heard:

Maria…

All the beautiful sounds of the world in a single word:

Maria… 

Maria! I’ve just met a girl named Maria,

And suddenly that name 

Will never be the same To me.

Maria! I’ve just kissed a girl named Maria,

And suddenly I’ve found 

How wonderful a sound Can be!

Maria! Say it loud and there’s music playing,

Say it soft and it’s almost like praying.

Maria, I’ll never stop saying Maria,

Maria…

Maria! Say it loud and there’s music playing,

Say it soft and it’s almost like praying.

Maria, I’ll never stop saying Maria.

The most beautiful sound I ever heard. Maria.

トニー:

マリア…

今まで聞いた中で最も美しい響き

マリア…

その一言の中に世界中全ての美しい響きが入っている

マリア…

マリア!マリアという名前の娘に出会った

そして突然、その名前は

僕にとって特別なものになった

マリア!マリアという名前の娘にキスをした

そして突然、その名前の

素晴らしさに気付いたんだ!

マリア!大きな声で言うと音楽を奏でているようだ

小さな声で囁くと祈りを捧げているようだ

マリア!君の名前をずっと言い続けるよ

マリア…

マリア!大きな声で言うと音楽を奏でているようだ

小さな声で囁くと祈りを捧げているようだ

マリア!君の名前をずっと言い続けるよ

今まで聞いた中で最も美しい響き、マリア

オペラ歌手との自作自演

バーンスタインは 1961 年に手兵ニューヨーク・フィルを指揮してこの作品の抜粋である〈シンフォニック・ダンス〉を録音したものの、全曲を振ったのは著名な 1984 年 9 月の録音が初めてだった。この時、ソリストに起用したのは、ホセ・カレーラス(トニー)、キリ・テ・カナワ(マリア)、タティアナ・トロヤノス(アニタ)、マリリン・ホーン(〈サムウェア〉の独唱)等のオペラ界で活躍するスター歌手。台詞はバーンスタインの長男アレクサンダー(トニー)と次女ニーナ(マリア)が担当した。自作のミュージカルを振ることが初めてということもあって、バーンスタインはかなりピリピリしていた。それによってカレーラスやレコーディング・スタッフと衝突したが、その様子は録音風景を収めたドキュメンタリーにしっかり記録されている。バーンスタインはこの録音に手応えを感じ、そして、ドイツ・グラモフォンから発売されたこのアルバムは好評を得て大セールスを記録した。

《West Side Story》 – Tonight–Balcony Scene

マリア:依光ひなの/トニー:喜多村泰尚/ピアノ:岩舩利佳

  • 楽曲解説
  • 歌手より
  • 歌詞対訳1
  • 歌詞対訳2
  • 歌詞対訳3
楽曲解説

〈Tonight –Balcony Scene トゥナイト―バルコニーシーン〉

〈マリア〉の直後のこの二重唱は、文字通り『ロミオとジュリエット』の名場面の再現である。裏路地の建物の部屋の中にいるマリア、それを見つけたトニーの2人は非常階段で互いの愛を確かめ合う。ここでも名前が手掛かりとなる。マリアの父が娘を呼ぶ愛称のマルーカや、トニーの本名アントンを通じて、互いの知らない一面を知っていく。終盤の台詞「愛してるわ、アントン。」(“Te adoro, Anton.”)は悲劇的な結末で再び発せられる。

当初バーンスタインはこのシーンのために〈サムウェア〉を使うつもりで、作詞まで行っていた。しかし、ロビンズたちが難色を示したことを受けて、ソンドハイムと共に、決闘直前の五重唱〈トゥナイト〉を素材として壮大な愛の二重唱を完成させた。〈サムウェア〉は2人の空想を描くバレエシーンに挿入されたが、〈バルコニーシーン〉のオーケストラ伴奏にもその音形がはっきりと現れている。

歌手より

〈Tonight –Balcony Scene トゥナイト―バルコニーシーン〉

あのタモリさんはミュージカルについて「さっきまで普通に喋ってた人が急に歌い出すなんておかしい」と言っていますが、とんでもない!台詞から歌へと気付かないうちに自然に移り変わっていくのが本当に良いミュージカルの形だと私は思っています。今回は台詞つきでの演奏ということで、その理想の形にどうにか近づければ……と思いながら練習してきました。英語の台詞はとても大変でした。マリアとトニー、ただ二人だけの幸せな瞬間に一緒に浸ってもらえたらと思います。

[喜多村]

この曲を聴いて心が高鳴るのは観客だけではない。演奏者もこの生き生きとした希望溢れる鼓動と、溢れ出す愛のメロディーについ身を委ねてしまいそうになる。しかし、気持ちよく乗っかってしまうとこの曲の持つ生命力は途切れてしまう。手綱を離さずしっかりとコントロールしなくてはシンプルがゆえにあっさり儚く終わりかねないバランスの難しいラヴソングだ。本来であればマリアのプエルトリコ訛りがRの発音などに現れるが、今回はこの汚れを知らない2人の愛の純粋さを表すために、あえてその発音を用いずに曲を作った。

[依光]

歌詞対訳1

(Dialogue)

Tony:

Maria, Maria…

Maria:

Ssh!

Tony:

Maria!!

Maria:

Quiet!

Tony:

Come down.

Maria:

No.

Tony:

Maria…

Maria:

Please. If Bernardo―

Tony:

He’s at the dance. Come down.

Maria:

He will soon bring Anita home.

Tony:

Just for a minute.

Maria:

A minute is not enough.

Tony:

For an hour, then.

Maria:

I cannot.

Tony:

Forever!

Maria:

Ssh!

Tony:

Then I’m coming up.

Woman’s Voice:

Maria!

Maria:

Momentito, Mama…

Tony:

Maria, Maria―

Maria:

Cállate! It’s dangerous.

Tony:

I’m not “one of them.”

Maria:

You are; but to me, you are not. Just as I am one of them―

Tony:

To me, you are all the―

Man’s Voice:

Maruca!

Maria:

Si, ya vengo, Papa.

Tony:

Maruca?

Maria:

His pet name for me.

Tony:

I like him. He will like me.

Maria:

No. He is like Bernardo: afraid.

Imagine being afraid of you!

Tony:

You see?

Maria:

I see you.

Tony:

See only me.

(台詞)

トニー:

マリア、マリア……

マリア:

シー!

トニー:

マリア!!

マリア:

静かに!

トニー:

降りてきなよ

マリア:

だめ

トニー:

マリア……

マリア:

お願い。もしベルナルドが――

トニー:

あいつはまだ体育館だよ。降りてきなって

マリア:

そろそろアニタを連れて帰ってくるわ

トニー:

1分だけ

マリア:

1分は足りないわ

トニー:

じゃあ、1時間

マリア:

それは無理

トニー:

ずーっと!

マリア:

シー!

トニ

じゃあ、僕が上がろう

女の声:

マリア!

マリア:

ちょっと待って、ママ……

トニー:

マリア、マリア――

マリア:

黙って!危険だわ

トニー:

僕は「あいつら」とは違う

マリア:

そうね、私にとってあなたは違う。私が彼らと同じだって――

トニー:

僕にとって君は全ての――

男の声:

マルーカ!

マリア:

今行くから、パパ

トニー:

マルーカ?

マリア:

パパは私をそう呼ぶの

トニー:

彼のこと好きだよ。きっと彼も僕を好きになる

マリア:

無理よ。彼もベルナルドみたいな人よ、怖がる

あなたを怖がるのを想像してみて!

トニー:

君には分かるの?

マリア:

私はあなたを見てる

トニー:

僕だけを見て

歌詞対訳2

(Song)

Maria:

Only you, you’re the only thing I’ll see forever.

In my eyes, in my words and in ev’rything I do,

Nothing else but you, Ever!

Tony:

And there’s nothing for me but Maria,

Ev’ry sight that I see is Maria.

Maria:

Tony, Tony.

Tony:

Always you, ev’ry thought I’ll ever know

Ev’rywhere I go, you’ll be,

Both:

All the world is only you and me!

Maria:

Tonight, tonight, 

It all began tonight,

I saw you and the world went away.

Tonight, tonight, 

There’s only you tonight,

What you are, what you do, what you say.

Tony:

Today, all day I had the feeling

A miracle would happen.

I know now I was right.

Both:

For here you are,

And what was just a world is a star

Tonight.

Tonight, tonight,

The world is full of light,

With suns and moons all over the place.

Tonight, tonight,

The world is wild and bright,

Going mad shooting sparks into space.

Today the world was just an address,

A place for me to live in,

No better than all right,

But here you are,

And what was just a world is a star

Tonight.

Tony:

Tonight, tonight,

It all began tonight,

I saw you and the world went away.

(歌)

マリア:

あなただけ、ずっとあなただけを見つめるわ

何を見ても、何を話しても、何をしても

どんな時もあなたしかいない

トニー:

僕には君だけしかいない、マリア

君以外何も見えない、マリア

マリア:

トニー、トニー

トニー:

僕が何を思っていても

僕がどこへ行っても君がいる

2人:

この世界には僕と君(あなたと私)だけ

マリア:

今宵、今宵、

今宵、全てが始まった

あなたを見つめたら世界を忘れてしまったわ

今宵、今宵、

今宵、あなただけがいる

あなたの姿、あなたの仕草、あなたの言葉

トニー:

今日は一日中

奇跡が起きる気がしたんだ

今、自分が正しいと分かった

2人:

君がここにいることで

ただの世界が星に変わったんだ

今宵

今宵、今宵、

世界は光に満ちている

周り中を太陽と月が包んでいる

今宵、今宵、

世界は素晴らしいし輝いている

狂おしく火花を散らして空の彼方へ

今日まで世界はただの場所だった

生きていくだけの場所

何も特別なことはなかった

でも君がいるから

ただの世界が星に変わったんだ

今宵

トニー:

今宵、今宵、

今宵、全てが始まった

君を見つめたら世界を忘れてしまった

歌詞対訳3

(Dialogue)

Maria:

I cannot stay. Go quickly.

Tony:

I’m not afraid.

Maria:

They are strict with me. Please.

Tony:

I love you.

Maria:

Yes, yes, hurry. Go!

Buenas noches.

Tony:

Buenas noches.

Maria:

Wait! When will I see you?

Tony:

Tomorrow.

Maria:

I work at the bridal shop. 

Come there.

Tony:

At sundown.

Maria:

Yes. Good night.

Tony:

Good night.

Maria:

Tony!

Tony:

Ssh!

Maria:

Come to the back door.

Tony:

Si.

Maria:

Tony! What does Tony stand for?

Tony:

Anton.

Maria:

Te adoro, Anton.

Tony:

Te adoro, Maria.

(台詞)

マリア:

もう行かないと。早く

トニー:

構うもんか

マリア:

私が怒られちゃうの。お願い

トニー:

好きだ

マリア:

うん、うん、急いで。ほら!

おやすみなさい

トニー:

おやすみなさい

マリア:

待って!いつ会える?

トニー:

明日なら

マリア:

ブライダルショップで働いてるの

そこに来て

トニー:

じゃあ、夕方に

マリア:

分かった。おやすみ

トニー:

おやすみ

マリア:

トニー!

トニー:

シー!

マリア:

裏口から入ってね

トニー:

うん

マリア:

トニー!あなたの本名は?

トニー:

アントン

マリア:

愛してるわ、アントン

トニー:

愛してるよ、マリア

《キャンディード》

「赤狩り」に対する抵抗

《ウェスト・サイド・ストーリー》の制作が軌道に乗り出したころ、バーンスタインはすでに劇作品の作曲を抱えていた。1954 年に劇作家のリリアン・ヘルマンに提案された 18 世紀フランスの啓蒙主義者ヴォルテールの小説『カンディード、あるいは最善説』の翻案は、すぐさま「大がかりなオペラを書きたい」とバーンスタインをワクワクさせた。他の作品の作曲、TVの音楽番組の台本執筆と出演、指揮活動(この時期は後年に比べたらかなりセーブしている)ともバランスを取りながら書き進め、数回の作詞家の交代や《ウェスト・サイド・ストーリー》への「目移り」、ボストンでの試験興行とそれを踏まえた楽曲の追加を経て、1956 年末にブロードウェイ初演を迎えた。しかし、ヘルマンによる複雑な脚本とバーンスタインによるオペラ的に洗練されすぎた音楽は賛否両論を巻き起こし、2ヵ月で公演は打ち切られてしまった。


ヴォルテールの原作は舞台がコロコロ変わり展開も速い荒唐無稽な作風であるが、そこに込められているのは、カトリック教会やドイツの哲学者ライプニッツの最善説(楽天主義)に対する皮肉に満ちた攻撃である。ヘルマンはここに自身の現状を重ね合わせた。反ファシズムと共産主義に傾倒していた彼女は、第二次世界大戦後のアメリカの反共産主義の動きによって、「赤狩り」と呼ばれる糾弾の対象となった。ヘルマンはヴォルテールの原作を基に、そこに存在しない大胆な脚色を多数盛り込んだ。特にリスボンの大地震の後の宗教裁判のシーンは、まさしく共和党右派のマッカーシー上院議員や下院非米活動委員会による理不尽な尋問の再現である。「赤狩り」の対象となったのはヘルマンだけではない。アメリカ音楽界の最前線で活躍していた作曲家アーロン・コープランドも非常にリベラルな思想ゆえに、「共産主義者」のレッテルを貼られて大きく活動を制限された。彼を慕い、長年親交を深めてきたバーンスタインも、30 年代後半から左翼活動に与してきたので、 FBI が目を光らせていた。ラジオ、テレビ、映画産業からも追放され、ついには 1953 年 7 月、国務省によってパスポートの更新を拒否されてしまった。政治犯罪の告白と宣誓供述書への署名、3500 ドルの罰金支払いを強いられたことでようやく、翌月にはパスポートを取得した。ここから次第にバーンスタインの社会的地位は回復したが、一連の出来事は屈辱的だったといえよう。

《Candide》 – Glitter and Be Gay

クネゴンデ:和田奈美/ピアノ:宮本汀

  • あらすじ
  • 楽曲解説
  • 歌手より
  • 歌詞対訳
あらすじ

《Candide キャンディード》

ヨーロッパ中部の架空の国ウェストファリアに住む純真な若者キャンディードは、領主の娘クネゴンデらと仲良く暮らしていた。師パングロス博士の「この世は神の御意志によって最善の状態に造られている」という教えを信じてきたが、クネゴンデと接吻したことが領主にバレたことでウェストファリアから追放されてしまう。ほどなくウェストファリアで戦争が起こり、クネゴンデは敵兵に凌辱された後、殺される。悲しみに暮れるキャンディードはパングロス博士と再会しリスボンに向かうが、今度はそこで大地震に遭う。その後の宗教裁判によってパングロスが絞首刑に処せられる。幾度となく不幸と災難がキャンディードを襲う中で、新たな人物との出会いや死んだはずのウェストファリアの人々との再会を繰り返し、彼は次第にパングロスの楽天主義的な教えに疑問を抱く。

楽曲解説

〈Glitter And Be Gay きらびやかに着飾って〉

今ではモーツァルトの《魔笛》の夜の女王のアリア(第1、2幕共に)と並ぶ、コロラトゥーラの難曲として知られるクネゴンデのアリアは、幅広い音域(単に高音域を当てるだけではない)や高い表現力、様々なジャンルの音楽への対応力を必要とする。まず、死んだと思われたクネゴンデが実は生存していたという設定は突飛であるが、本作に関しては彼女に限らない。中には2度死んだことにされる登場人物もいるので、これにはぜひ慣れていただきたい。

パリでユダヤ人大富豪と大司教の妾として生き長らえている彼女の処世術を歌うこのアリアは、現在の境遇を嘆く短調のどんよりとした前半、身に付けているジュエリーに喜びを隠せない長調の軽快な後半(超絶技巧パート)、それぞれの繰り返し(ヴァイオリンのソロを伴う台詞部分を含む)、変拍子と目まぐるしい転調と超絶技巧とが巧みに織り込まれたコーダからなる。ちなみに、オペラで宝石を身に付けるといえば、グノーの《ファウスト》でマルグリットが歌う〈宝石の歌〉。このように、バーンスタインは偉大な先達たちのオマージュを自身の楽曲に含むことも好んでいた。

歌手より

〈Glitter And Be Gay きらびやかに着飾って〉

悲劇のヒロインとして散々嘆いたかと思えば、その中にも良い面を見つけて楽天的に自分を満足させるのが上手なクネゴンデ。ただ「今」を楽しむ天真爛漫な彼女のアリアは、哀楽の高低差と純粋さの表現がポイントだと思っています。

前奏のオクターブからすでに読み取れるように、同じ小節の中でも気分がガラッと変わってしまう、急激な喜怒哀楽を駆け回るような一曲ですが、それを意図的にやるのではなく、反射的な表現をすることで彼女の純粋さが引き出されるように思います。

[和田]

歌詞対訳

Cunegonde:

Glitter and be gay,

That’s the part I play:

Here I am in Paris, France.

Forced to bend my soul

To a sordid role,

Victimized by bitter, bitter circumstance.

Alas for me! Had I remained

Beside my lady mother,

My virtue had remained unstained

Until my maiden hand was gained

By some Grand Duke or other.

Ah, ‘twas not to be;

Harsh necessity

Brought me to this gilded cage.

Born to higher things,

Here I droop my wings, Ah!

Singing of a sorrow nothing can assuage.

And yet, of course, I rather like to revel, ha ha!

I have no strong objection to champagne, ha ha!

My wardrobe is expensive as the devil, ha ha!

Perhaps it is ignoble to complain…

Enough, enough, of being basely tearful!

I’ll show my noble stuff

By being bright and cheerful!

Ha ha ha ha ha! Ha!

Pearls and ruby rings…

Ah, how can worldly things

Take the place of Honor lost?

Can they compensate

For my fallen state,

Purchased as they were at such an awful cost?

Bracelets…lavalieres…

Can they dry my tears?

Can they blind my eyes to shame?

Can the brightest brooch

Shield me from reproach?

Can the purest diamond purify my name?

And yet of course these trinkets are endearing, ha ha!

I’m oh, so glad my sapphire is a star, ha ha!

I rather like a twenty-carat earring, ha ha!

If I’m not pure, at least my jewels are!

Enough, enough!

I’ll take their diamond necklace,

And show my noble stuff

By being gay and reckless!

Ha ha ha ha ha! Ha!

Observe how bravely I conceal

The dreadful, dreadful shame I feel.

Ha ha ha ha!

クネゴンデ:

きらびやかに着飾って

それが私の役割

フランスはパリで

私の生きがいは無理やりねじ曲げられ

卑しい役割を押し付けられ

辛く、厳しい境遇の犠牲になった

かわいそうな私!

お母様の傍に留まれたなら

私の貞操は汚されなかったのに

けがれなき我が身が

大公とかやんごとなき方のものとなるまで

もうそれも叶わない

残酷な宿命のせいで

私は金持ちの囚われの身になった

高貴な家に生まれたのに

私の翼はうなだれている、あぁ

哀しみを歌っても何もなだめられない

とはいえ、もちろん、楽しむ方が好きなの!

シャンパンだって嫌いじゃない!

私の衣装は悪魔的に高いし!

文句を言うのはお下品かもね

もうたくさん、泣きじゃくるのは飽きた

私の高貴なとこを見せてやる

明るく朗らかに振る舞いましょう!

真珠やルビーの指輪

あぁ、どうしてこんな俗っぽいものが

失った名誉の代わりになるの?

私の落ちぶれたありさまの

埋め合わせになれるの?

私の身分はもっと高いはずだったのに

ブレスレットに首飾り

これで涙が乾くの?

これで不名誉から目を背けられるの?

これ以上なく輝いているブローチが

私を恥辱から護ってくれるの?

これ以上なく純粋なダイアモンドが

私の汚名をすすいでくれるの?

とはいえ、もちろん、この小物も愛おしいの!

サファイアも星みたいにピカピカで嬉しい!

20 カラットのイアリングも大好きだし!

私がけがれているとしても、宝石だけは絶対純粋よ!

もうたくさん、お腹いっぱい

ダイアモンドのネックレスを着けちゃえ

私の高貴なとこを見せてやる

派手に振る舞って、怖いもの知らずでいよう!

私が不快に思った恥辱を見せずに

潔く生きているのを見てなさい

《Candide》 – Make Our Garden Grow

キャンディード:髙橋伽徳/クネゴンデ:和田奈美/パケット:依光ひなの/総督:喜多村泰尚/マクシミリアン:兵藤直哉/パングロス博士:奥秋大樹/コーラス:岩舩利佳、四方裕平/ピアノ:宮本汀/指揮:本間拓真

  • 楽曲解説
  • 歌手より
  • 歌詞対訳
楽曲解説

〈Make Our Garden Grow 僕らの畑を耕そう〉

パリでの再会後、再びクネゴンデとはぐれてしまったキャンディード。彼は長い旅の果てにヴェネツィアに辿り着くが、そこで自分の所持金を騙し取ろうとしたのがクネゴンデだった。彼女に抱いた幻想と現実のギャップを目の当たりにしたキャンディードは数日間黙り込むが、「人生は良くも悪くもない。楽園なんぞ存在しない。」ということを悟る。彼はヴェネツィアの外れに小さな畑を買い、そこでクネゴンデと共に慎ましく生活することを誓う。

歌手より

〈Make Our Garden Grow 僕らの畑を耕そう〉

「幾多の修羅場を乗り越えてきた後の決意に満ちた姿」をどう歌で表現するかが、私にとっての課題でした。今回は各演目から抜粋する形式で上演されるため、いきなり悟りのシチュエーションから始まることは精神的に、歌い手としても観客としても準備が難しいのでは、と感じていました。しかし、今回のプログラムで扱われる楽曲のテーマが階級や差別という要素を共通して孕んでいること、またこの曲がその中の終曲として用いられることで、プログラム全体を通して歌われてきた困難、愛、喜びを締めくくり、各々の決意を誓う場としての役割があると考えると、上記の心配は杞憂であったのかもしれません。本プログラムに登場したそれぞれのキャラクターの人生も、また技術的にかなりハードなフィナーレ部分も、”We’ll do the best we know” の気持ちを持って歌い上げることができればと思います。

[髙橋]

クネゴンデのアリアについて、彼女の事を楽天的で、喜怒哀楽の激しい、言わば子供のような人物像を浮かばせるように書きましたが、彼女にはそうならざるをえない環境がありました。師であるパングロスの洗脳とも言える教えを、ただ純粋に信じてきたのです。

彼の教えは確かに、役に立つ事もあるけれど、思慮深く考え、自分の力で耕す力を蝕むものでした。このシーンではついにその洗脳から目覚め、幸せは自分の力で耕し、育てていくものだと理解するのです。波瀾万丈な人生を乗り越え、彼女たちが手にした大切な気付きと共に、その後の幸福な未来を思わせる壮大なフィナーレです。

[和田]

歌詞対訳

Candide:

You’ve been a fool and so have I,

But come and be my wife,

And let us try before we die

To make some sense of life.

We’re neither pure nor wise nor good;

We’ll do the best we know;

We’ll build our house, and chop our wood,

And make our garden grow,

And make our garden grow.

Cunegonde:

I thought the world was sugar cake,

For so our master said;

But now I’ll teach my hands to bake

Our loaf of daily bread.

Both:

※ (Repeat)

All:

Let dreamers dream what worlds they please;

Those Edens can’t be found.

The sweetest flow’rs, the fairest trees,

Are grown in solid ground.

※ (Repeat)

キャンディード:

君はバカだったし、僕もそうだった

でも僕の妻になってほしいんだ

そして死ぬまでにやってみようよ

生きる意味を探していくことを

僕らは純粋でもなく、賢くもなく、立派でもない

できる限りベストを尽くそう

家を建てて、薪を割って、

そして僕らの畑を耕そう

僕らの畑を耕そう

クネゴンデ:

世界は砂糖菓子のように甘いと思っていた

私たちの先生がそう言っていたんだから

でも今、パンの焼き方を覚えよう

日々食べる1斤のパンを作ろう

2人:

※(くり返し)

全員:

夢見る人には彼らが好む世界の夢を見させよう

そんなエデンの楽園は見つからないけれど

かわいい花々や美しい木々は

しっかりとした大地に根付くのだから

※(くり返し)

ヘルマンの脚本がヴォルテールの原作を忠実に再現したものではないことはすでに述べているが、バーンスタインの音楽にも同じことがいえる。劇の最後を締めくくる壮大な合唱は、原作の結尾が与える細々とした印象とは全く対照的な仕上がりになった。この合唱にみられる希望の賛歌は、指揮者バーンスタインが十八番としていたグスタフ・マーラーの作品を彷彿とさせる。マーラーの作品を偏愛していたバーンスタインは、《交響曲第2番『不安の時代』》の〈エピローグ〉や《ミサ》の〈聖体拝領〉に顕著な、宗教的法悦に満ちたフィナーレをしばしば作り上げた。彼はその作曲上の意図と考えられることを、暗殺されたケネディ大統領の追悼演奏(1963 年 11 月 24 日)としてマーラーの《交響曲第2番『復活』》を指揮した翌日に述べている。

なぜ、鎮魂歌(レクイエム)やよくある《英雄》の葬送行進曲の代わりに、この世の苦難を超える希望と勝利という未来を見通す観念を描いた《復活》交響曲なのかという声もありました。いったい、なぜでしょうか?私たちはマーラーの交響曲を、一人の愛する人の魂の復活という点だけではなく、彼の死を悼む私たちすべての希望の復活のために演奏したのです(バーンスタイン、レナード『わが音楽的人生』岡野弁訳、東京:作品社、2012 年)。

オペラ歌手との自作自演再び

バーンスタインは亡くなる前年まで、《キャンディード》にこだわることとなった。他のミュージカル同様、各地で上演される度に様々な上演版が世に出たが、ヴォルテールの原作の有する風刺に最も近づいたスコティッシュ・オペラ版(1988)をバーンスタインは特に称賛した。これに基づいて、翌年 12 月にロンドン交響楽団を自ら振って演奏会形式として上演し、直後にスタジオ録音に移った。《ウェスト・サイド・ストーリー》同様、オペラ歌手(ジェリー・ハドリー、ジューン・アンダーソン、クリスタ・ルートヴィヒ、ニコライ・ゲッダなど)をキャスティングした。ちなみに、パングロス博士役に起用されたのは、バーンスタインの学生時代からの旧友で《オン・ザ・タウン》と《ワンダフル・タウン》の作詞・台本を手掛けたアドルフ・グリーン(有名な『雨に唄えば』をはじめとしたミュージカル映画の脚本も手掛けている)であった。音楽的な訓練をほとんど受けたことのないグリーンだったが、類まれなユーモアと音楽に関する記憶力において彼以上の配役は無かっただろう。


エピローグ

オペラ作曲家バーンスタインの苦闘


バーンスタインが約 30 年の時を経て、この2作の自作自演とその録音に踏み切ったのには以下の経緯と思惑があった。1958 年、《ウェスト・サイド・ストーリー》の大成功の翌年に彼はニューヨーク・フィルの音楽監督(当時最年少かつ初のアメリカ生まれ)に就任する。音楽監督としてこのオーケストラの黄金時代を築いた一方で、なかなか作曲に時間と労力を割くことが叶わず、1964-65 年のシーズンは音楽監督としての職務を一時休止した。しかし、バーンスタインが監督在任時(1958-69)に書き上げたのは、《交響曲第3番『カディッシュ』》(1963)と《チチェスター詩篇》(1965)の2作のみである。1969 年に音楽監督を退任した後、彼はオペラを手掛けることで《ウェスト・サイド・ストーリー》以外の作品でも自身の作曲家としての評価を確立しようと試みた。典礼劇に類似した形式をとる音楽劇《ミサ》(1971)は聴衆の圧倒的な支持を得たが、『ニューヨーク・タイムズ』をはじめとする各音楽批評から浴びた酷評は、バーンスタインを落胆させた。次いで、《マイ・フェア・レディ》の脚本家アラン・ジェイ・ラーナーと組んだ《ペンシルヴェニア大通り1600番地》(1976)は、公演を7日で打ち切るというブロードウェイ史上最大の失敗となった。1980 年代に入ると、一念発起して《タヒチ島の騒動》の拡大版、続編としての《静かな場所》(1983)を発表したが、バーンスタイン作品の中でも非常に難解な音楽、自伝的な題材に観客がついていけず、初演評も散々なものばかりだった。


度重なる失敗にショックを受けたバーンスタインは、新作の発表にこだわるのを止めて、《ウェスト・サイド・ストーリー》と《キャンディード》の自作自演に踏み切った。オペラ歌手の起用は、アリア的な唱法を採用することで作品の芸術音楽としての正当性を立証しようとしたバーンスタインの実験的試みである。しかし、こうした過去の作品に回帰したことは結果として、彼の他の作品に対する自信をさらに損なうこととなった。


これら2作の自作自演(とその録音)はこの Studio の1つのモデルである。しかし、カレーラスのような純粋なオペラ的歌唱表現をひたすら踏襲するのみでは、作曲者の柔軟な感性を、様々なジャンルの音楽を受容している現代の私たちの感性に照らし合わせた、ハイブリッドな演奏スタイルは追求されない。重要なのは、幅広い嗜好と旺盛な好奇心に応じて固定のジャンルに縛られないレパートリーを選択し、観衆とそのよろこびを共有することである。これを先んじて実践したのが、唯一無二の天才、レナード・バーンスタインだ。

― はまぷろ Studio2021 について ―

本企画のタイトル Studio(ストゥディオ)は、本番に向けて皆で勉強・研究を重ねていこう、という意味で名づけられました。コロナ禍で稽古・公演が中止となってから活動再開の端緒となったのは、オンラインでの勉強会です。オペラ企画HAMA project(はまぷろ)には様々なフィールドから音楽を愛する演奏者やスタッフが集まっています。その中から、楽理・音楽史・評論・文学・発声・語学・演劇・建築など、普段は音楽に関連する研究活動を行っている参加者が、オペラの演目や楽曲について知識や考察を提示し、これらをもとに皆が議論しました。それは、公演に向けた稽古を主体とする従来の活動にはなかった、団体の新しい姿でした。

本企画は、この「研究者と演奏者を結び付ける機能」さらには「オンライン」が持つ様々な可能性から、新しい表現形態を創出しようとするものです。企画は3つの段階からなります。1つ目は「勉強会」。研究者であるキュレーターを中心に、それぞれの掲げるテーマに基づいて楽曲を選定し考察します。2つ目は「演奏会」。演奏者が勉強会を経て得た知見や感触を、実演に落とし込み披露します。3つ目は「展覧会」。今回の研究と実演を記録し、それらを一体化して視聴覚的に発表する Web アーカイヴを作成します。

キュレーターの思考と想い、演奏者の努力と意欲を、音楽という学びに満ちた過程を、皆様と共有していきたい。それがこの「はまぷろ Studio2021」です。

  • References
  • STAFF & CAST
  • HAMA project?
References

参考文献一覧

[眞壁]

Seldes, Barry. Leonard Bernstein: The Political Life of an American Musician. Berkeley: University of California Press, 2009.

ウッド、イーアン『ガーシュイン ―我、君を歌う―』東京:ヤマハミュージックメディア、1998年。

カスティリオーネ、エンリコ『バーンスタイン 音楽を生きる』東京:青土社、1999年。

クレシュ、ポール『アメリカン・ラプソディ ガーシュインの生涯』東京:晶文社、1989年。

バートン、ハンフリー『バーンスタインの生涯 新版(上)』東京:青土社、 2018年 。

バートン、ハンフリー『バーンスタインの生涯 新版(下)』東京:青土社、 2018年。

バーンスタイン、レナード『バーンスタイン わが音楽的人生』東京:作品社、 2012 年 。

ロス、アレックス『20世紀を語る音楽 1』東京:みすず書房、2010年。

末延芳晴『ラプソディ・イン・ブルー ガーシュインとジャズ精神の行方』東京:平凡社、2003年。

[小野寺]

小川洋司『深い河のかなたへ――黒人霊歌とその背景』東京:音楽之友社、2001年。

小山内伸『ミュージカル史』東京:中央公論新社、2016年。

重木昭信『音楽劇の歴史 オペラ・オペレッタ・ミュージカル』東京:平凡社、2019年。

宮本啓『ミュージカルへの招待』東京:丸善、1995年。

柳生すみまろ編著『ミュージカル映画:フィルム・アートシアター』東京:芳賀書店、1975年。

ラーナー、アラン・ジェイ『ミュージカル物語:オッフェンバックから『キャッツ』まで』東京:筑摩書房、1990年。

STAFF & CAST

はまぷろ Studio2021

企画・制作:

オペラ企画 HAMA project

ディレクター:

伊藤薫

運営:

吉野良祐

Webサイト制作:

中川真文

竹中梓

吉野良祐

動画制作・撮影:

相川治奈

喜多村泰尚

近藤はるか

志茂将太朗

髙橋伽徳

中川真文

吉野良祐

音楽アドバイザー:

濱本広洋

[Studio 1]

オペラとミュージカルの狭間で

キュレーター:

眞壁謙太郎

(ガーシュウィン、バーンスタイン)

小野寺彩音

(プロムナード)

企画補佐:

依光ひなの

出演:

岩舩利佳 (Sop. / Pf.)

和田奈美 (Sop.)

依光ひなの (Mez.)

喜多村泰尚 (Ten.)

髙橋伽徳 (Ten.)

兵藤直哉 (Bar.)

奥秋大樹 (Bs.)

四方裕平 (Bs.)

小野寺彩音 (Pf.)

宮本汀 (Pf.)

指揮:

本間拓真

HAMA project?

オペラ企画 HAMA project(はまぷろ)は、〈学生・若手演奏家が中心となったオペラ作り〉と〈小さな劇場ならではの舞台表現〉を理念として2017年秋に始動した芸術団体です。海と陸の境界である「濱」のように様々な要素が豊かに溶けあう場所を目指して、指揮者濱本広洋より1文字をとってHAMA project としました。愛称は『はまぷろ』です。

公式ホームページ

http://koyohamamoto.com/hamapj/

この事業は「杉並区新しい芸術鑑賞様式助成金」の支援のもと実施されました